KEIKO KOMA Webサロン

なにもない


自分が生まれて今この地球にいて、先生、高麗さんに出会っていることが不思議でなりませんでした。奇跡のように高句麗伝説に時間も遅れることもなく身を運びましたがが前の書き込みで奇跡のように身を運ぶことができたと書き込みましたが、奇跡だけでは計り知れない助けがあって初めて身を運ぶことができたのです。今までもいろいろな助けがあって奇跡が実現しました。今まではそのたすけに報いるためにと頑張ってきましたが、同じことの繰り返しはもうできません。なっていかないのです。今ある状況を変えようとして様々に表現してきましたが、府中高句麗伝説の経験はあらゆる次元が交わり、場も空間も時間も何もない経験でした。

正直、人がみな自分より優れているように見えて自分の状況が情けなく思えていたのです。人と比べる意識、人と自分を対象化する意識、それぞれ多様性があってどの人も存在価値があるということは頭では分かったつもりでした。わかったつもりでも自分の価値観で人を解釈したり自分を疎外する意識が邪魔をしていました。昨日のたった1時間半のあの場の経験はそれらのことが吹き飛んで今自分がどこにいるのかすらわからなくなりました。眠ってはいなかったけれど言葉も意識も「何もなくなった」と。生きているからこそ、とてつもない経験に呆然としてはいられません。動かなければなりません。「真っ当」ということはどういう状態をいうのでしょうか。真ということを真剣に考え続けるはじまりをありがとうございます。

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