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風景を共有する人


肺がんの末期症状のおじいさんがいて、おばあさんが付き添っていた。息子たちはみんな東京に出ており、おじいさんが亡くなれば、おばあさんは長男に引き取られて東京に行くことになっていた。生まれ、育ち、嫁いで子どもたちを成人させたこの町を離れるのは、おばあさんにとっては何よりつらいことだった。おじいさんさえ生きていてくれれば町を離れなくてすむ。おばあさんは必死に看病した。
初秋の朝、東京から駆けつけた息子たちに看取られて、おじいさんは静かに呼吸を止めた。七階の病室の窓から下を見ると、おじいさんの今日の着替えを家に取りに行っていたおばあさんが、風呂敷包みを背にしょって裏道を急いでいた。腰を曲げ、おぼつかない足どりで裏口に急ぐ姿に、それまで涙を見せなかった息子たちが声をあげて泣き出した。
――南木佳士の随筆『ふいに吹く風』の一節

 

人にとって大切なのは、互いに共感しあったかけがえのない思い出を語り、確かめ合う存在である、というテーマのエッセイであるが、死をめぐっての家族の悲しみを、ここまでみごとに表現した文章は、ほかにないと思う。試験で、「息子たちが声をあげて泣き出した」理由を問いながらも、それを語らせては、著者を冒涜するようにも思えた。おばあさんの行動を上から見たことで、家族の「悲しみ」を描き切っていると思うから。

ところで、先日来、わたしは、「身寄りのない高齢者」の住みにくさばかりを訴えてきたが、この名文に触れ、「見慣れた風景を共感しあう」存在がいないことが、真の悲しみだとわかった。(2022.5.17.)

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