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国防について


国防について

昨日郵送されたミニコミ詩集「遊撃」に以下のような詩があった。

 

戦争を止めるなんて簡単です/軍事費ゼロにし/武器を作らず/軍隊を持たなければよいのです

私たちが/憲法九条実現を望む議員だけを選べばいいのです/私たちが/となりにいる人を/大切にすれば良いのです

さはし やよい「戦争を止めましょう」より

先日も、講座で、「日本も核武装すべき」という声を聞いたばかりだった。そのときは、「核」はやはり持つべきではない、と思っていたが、それからずっと「国防」のことを考えている。武器なしで、軍隊なしで、ロシアのような理不尽に対応できるはずはないし、中国のような専制独善に立ち迎えようもないから、上の詩句が、実に「あさはか」にも思えたのだ。しかも、「憲法9条」さえ守れば安心だともとても考えられない。「となりの人を大切にする」とは、具体的にどういうことか。侵略してきても歓迎するということか。だが批判は勝手だが、じゃあどう考えるのかと言われると、戸惑うばかりである。「高句麗軍団」のように強ければ、「敵は戦わずして」去って行ってくれるかもしれないが。じゃあ、やはり「核」を保有すべきか。「広島・長崎」と「福島」とを経験した身としては、それはやめておかなければならない。ギリギリのところで思うのは、「核」に匹敵するほどの強い平和への意志しかないと思う。個人的な「決意性」に頼らず、アーレントの言うような「複数性」と「その活動」しかないようにも思う。だから、上の詩もバカにすることはできない。しかし、「敵基地を叩け」という政治家は、糾弾したい。いくら名前を変えても、敵は実地的に反応するばかりだから。とにかく「戦争」は避けなくてはならない。(2022.4.26.)

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