希望
京都応用コース、存在論と参加させて戴きました。ウクライナへのロシア侵攻からの世界の政情を整理でき、歴史や哲学者のお話、今後起こり得る未来の危機のこと、ひとりひとりの命のこと、世界秩序が変わってしまったという現実…先生のお話を聴いていくと、今起きていることと、これからどうしていくのかを全体から捉えることができていきます。
応用コースのピアノでは、ウクライナのこと、いのちの悲しみがあふれて涙がとまらなくなりました。そしてお身体を壊されてしまった方の質問から、元通りに戻るという考えではなく、新しいことができること、それも現代はテクノロジーでそうしたことが補完できていく発想は前向きで、先生が老人ホームに勤務されていた時のお話では、座れない方が出発までに訓練してできるようになり、先生が大きなバスを運転できる免許をとられてバスで旅行に行き、とても愉しく過ごし、ご参加された方々ができないことができるようになったり、とても元気になっていかれるお話に光を感じました。デイケアでも楽しいことで工夫していくこと、ノウハウではなくてそこにある「関係」で改善していく、ということに「いだき」と出会ったことの意味を考え、自分も様々な現場でそうしていきたいと考えました。
民主主義の社会に生きる日本人は自由を実現できる立場にありながら、同調圧力や世間の目を気にして、なかなか実現できないお話、そしてモスクワで携わられたSNSを使いこなせる有能な若い方のお話からは、生まれた国の情勢や事情で個人の能力を活かせなくなり、以前より他の国との繋がりを絶たれてしまうことにとんでもないことが起きている現実を受けとめます。アフリカ、中東にしてもそうです。「(日本は)恵まれているのだから、まっとうに生きることくらいまともにできないか」という先生のお言葉に、情けない自分の状態をとても恥じました。存在論では、「音をあげるな」何度も先生のお言葉が今の自分の在り方に響きました。あきらめないで、大きく動くことを覚えていきます。
海外でも情報を受け取るスマホやTVのツールと情報源の違いからの世代間でも二極分解が起こっていたり、歴史的にも世界秩序が変わってしまったという中で、個々人においては夫婦等の関係性も変わっていくことを伺いました。新たに生きる世の中になったということ、昔のことに戻すのはとんでもないこととを伺い、新たに道を創り、生きていこうと意志立ちます。
何より、このような世界的に危機的な状況下でも、日本ではいだきしん先生のコンサートを聴けることは何にも代えがたい恵みです。余計なものが無くなり、はらわれ必要な力が湧いてくる、そして存在に出会うことは他では絶対無いことです。明日の府中、仙台…と日本ではコンサートがあることがとても希望です。(日本は)「世界に発信できる国にいる」と先生がおっしゃったこと心にあります。海外の方々へも積極的にお繋ぎ出来るように取り組んでいきます。高麗さんのビデオ講演会では、高麗さんのお心を感じ、より具体的に何をしていくのかをおとしこんでいくのかが見えてまいります。ふと伝えたい方のお顔が浮かんだり、未来にしていきたいことが見えてくるのです。存在論でのどなたかのウクライナのために何ができるのでしょうかといったご質問に「ウクライナのことから目をそらさないこと」と先生がおっしゃったことを心に、関心をもって過ごします。大変貴重な京都での経験でした。本当にありがとうございます。