KEIKO KOMA Webサロン

女は女に、男は男に、そして人間に。


府中コンサートありがとうございました。本日はコンサートの1時間ほど前にやっと書き込みが完成しましたが、ゆっくりと読み直す時間がなかったのでアップしませんでした。しかし、コンサートがはじまるとさっきまで書いていたことがそのまま繋がっていくような経験となりましたので、前後しますがその書き込みを下記にアップさせていただいて書き込みます。
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(本日16時頃)
いだきの要、「男と女のある何か」のイメージの核は 私にとっては常に いだきしん先生と奥様 晴美さんがご一緒の場で何度かお会いした時の経験にあります。津軽の撮影旅行で高麗さんと一緒に弘前のご自宅にお邪魔したり、津軽の地元の方々との用件があって東京を訪れられた晴美さんに僅かの時間に会われた先生と高麗さんに連れていただき、数回お会いしました。どの時もお二人はそれほど言葉を交わされるわけでもないのに、あ・うんの呼吸と言いましょうか、信頼感がごく自然に先生の音楽のように流れているご様子を感じていました。私には「愛」とはずっとこのお二人の光景のことでした。

今回の京都の応用コースでご結婚の前に二人のことをはっきりしようとされた先生に手紙で応えられた晴美さん、そして晴美さんから受け入れられたことからはじまったとの先生のお話は、お二人の関係性について感じとっていたこれまでとは全く違った経験となりました。それは「存在を100%受け入れ合う男女間に真の愛が生まれる」とそのお話をお聞きした瞬間に確信したことです。100%の意味がやっとわかりました。真の自分を100%表現するには100%そのままの自分を受け入れてくれるパートナーが必要と・・。高麗さんが、会われた頃に先生が女性の子宮のことをそのままわかられることに驚いたとの書き込みをされていましたが、私も最初にこのお話を伺った時に大変驚きました。そしてそれはどういうことなのか?今日まで、ことある度に考えてきました。

11月の迎賓館コンサートで先生から「からだのどこを感じたか」を問われた時、私は全くわかりませんでしたが、翌日のジェンダーを経て、コンサートの経験について女性たちがそれぞれに子宮やからだの変化について語っておられました。高麗さんは「子宮は宇宙」と表現されましたが、この頃から私には「子宮は聖域」とのことばがごく自然に生まれました。そして「アクレスピオスの杖」がメッセージとなった渋谷コンサートと、先生が絶賛された高麗さんの書き込みによって一気に「男と女のある何か」の扉が開きそうでした。東京の応用コースでしたか、「男と女のある何か」に関連して女性の子宮、男性の前立腺について先生がさらりと言及された時に経験が蘇りました。私は11/26の仙台コンサート、12/1の渋谷コンサート、12/8の京都コンサートで前立腺の辺りを感じていました。5月末から始まった連続コンサート以降の経験で生まれた「何か」がだんだんはっきりしてきていましたが、この3週間ほどは書いても読み返すと外れてるばかりでサロンにはアップできませんでした。

先生は今回の京都の応用講座で「アスクレピオスの杖のようなもの」とご自身のことを表現されましたが、「いのちは二つで一つ」とも仰いました。先生がなぜ女性のからだを女性以上に感じられるようになられたのか?もしくは取り戻されたのか、その大変な探求のプロセスはわかりませんが、先生ご自身が「二つで一つのいのち」そのままの存在であられることは随分前から知ってはいたのだと振り返ります。この確信の根拠はきっと今回の一連の経験があったからです。そして「男と女のある何か」は男女のパートナーがいなくてもいだきしん先生に受容されることで実現するということがやっとはっきりと認識できました。このさらに先へ向かうためにはコンサート、講座の先生との生命感応の経験の中で頭も同時にはたらくよりないのは京都応用コースでよくわかりました。12月2日の東京の応用コースから先生の表現がガラリと変わられました。その講座から同時に私自身の考える力、生きる力もガラリと変わっています。そして「女は女に、男は男になる」ことが人間の未来を拓くことが漸くわかりました。
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そして今夜のコンサートの経験は上記の書き込みの直後であったこともあり、そのまま生きた経験となり繋がっていきました。やっと愛の入り口に辿り着いたのかもしれない・・、と感じます。いつも貴重な経験の場をありがとうございます。

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工房より
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多賀城市文化センターにて-2
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NPO高麗 迎賓館にて