ワクワクを生かす
「解釈する」ということをいつまでも繰り返していることをあらためて教えていただいた1日でした。その元にあるものは何だろう?と自問します。応用コースと存在論を通して自分が最もワクワクしたのは質問に答えていただいた中で、いだきしん先生ご自身が「自分が生きている間に世界を何とかする、自分抜きでどうやっていくのか」と(世界に?)問われた時です。自分も何か一つでもできることがあれば・・との気持ちが沸々と湧いてきました。その気持ちはあっても実際は能力が追いつかないと自覚し、一歩を踏み出せない日々がありました。その能力とは何なのだろう?と考え続けましたが結論は「愛がわからない」でした。もちろんその他に足りない能力は山ほどあるのですが、愛の欠如が全ての元になっていると感じてきました。一方で、だからこそ いだきがあることがわかっていなかったと痛感します。無いものではなく在るものを生かす。在るものは何か?在るものであってもやれることをただやってるだけではダメ、壮大なこと、Greatを目指す・・・。「愛がわかってからやります」ではなく、やりながらわかることをずっと教えていただいているのにいつも逆ばかりやっているのです。
「存在」に関しての質問者に答えられ、人と人が存在を感じ合うということは無い、が、存在はある・・。とのお話をお聞きした時に「存在」について大きな勘違いをしてきたと目覚めました。先生とご一緒している空間ではこのような状態がすごい勢いでわかります。
もう一つワクワクしたことは先生が視床下部の研究に可能性を感じておられることです。先生がやっておられることを科学的に証明する可能性があるならば、何かそのプロセスで貢献できることがあるのでは・・。ワクワクすること、Fitすること、気が合うこと・・いつも先生からお聞きする壮大な事業や構想は、誰にもできることでは無いけれど誰にもわかりやすいことです、そして「愛」。先生の生きておられる状態、いのちの在り方を対話を通して感じることはいつも大変貴重な経験です。心よりありがとうございます。