明るい春のような気分
今年三月の終わりに、葛城山系の小池山に登って、帰路、高貴寺から磐舟神社を経て太子町に抜けた。その磐舟神社の祭神が「饒速日命」だった。高麗先生の文章「この世の春」を読み、そのときの気持ち良さ、明るさが胸に広がり、安心を得た。先生のメッセージを伝えていただき感謝感激しました。有難うございます。
先日、報告した「5年後の職業」で、一人だけ何も書かない生徒がいたが、今日、授業のとき、「どうして何も書かなかったの?」と聞いたら、「いやなにも考えられなかったから……」と正直な答えが返ってきた。「フム、それじゃ仕方ないけれど、そのことだけでも書いてくれたらよかったよ。」と、こっちも正直な気持ちを伝えた。すると、心なしか、いつもより熱心に授業を聴いてくれているようで、フワーッと優しい気分になった。
新聞では、若者の自殺や引き籠りの多さを報じているが、授業中の高校生は、実に柔軟で優しい光を放っている。いや、何も熱心に「国語」に取り組んでいるわけではなく、(もちろんそういう生徒もいるが)ほかのことをやったり、友人とふざけてばかりの奴もいるのだが、なぜかこの子らの将来は明るい、という気持ちが湧いてくるのだ。3年間、担当してきたからだろうが、「信頼」のようなものができていて、なんとなく楽しい時を共有できるのだ。
高麗先生の文章を読んで、そういう気分が一層高められた。ありがとうございます。