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「フォークソング・ムーブメント」の申し子


かつて70年代から80年にかけて、「関西フォークソング・ムーブメント」という歌の集い、詩の朗読会があり、一世を風靡したことがあった。高石ともやの「受験生ブルース」や、岡林の「友よ」などが有名であり、高田渡や中川五郎などの歌い手を輩出して、ずいぶん盛り上がったものだった。しかし、時代は大きく変容し、「ニュー・ミュージック」が席巻し、「カラオケ」が庶民の娯楽を支えるようになり、「素人の、素人のための、素人による」歌のイベントは、急速に下火になり、プロテストソングも、労働歌も、人気がなくなってしまった。

ところで、音楽的センスも、詩的知性も、ほとんどないわたしも、「関西フォーク」とのかかわりの中で、自己表現の大切さに気付き、個性の進展、行動する生き方、「声」を挙げることに目覚め、あるいは、「自主・自立・自由」に生きたいものと思い、その知恵と力を身に着けていった。そして、「関西フォーク」の灯を消したくない人たちと係わり続け、自分でも、「表現の教室」など実践してきた。下手なギターで古い民謡を歌い、見様見真似の自作詩によって、自分の心を見つめ、共感と共働を求めて続けている。
今日も、神戸の高架下の狭苦しい倉庫のようなところで、8人の人が集い、「シンガーソング・ライター」の実践を分かち合ってきた。素人・玄人の別を問題とはせず、また、ミュージシャンになるための練習でもなく、懐古主義的な娯楽の集いでもなく、抗議集会でもないし、演歌的な嘆き節の集いでもない奇妙なひと時ではある。そう、「ライブハウス」でも、「カラオケルーム」でもないのだ。

でも、わたしを除いて、聞くに堪えないような演唱は皆無だ。古い流行歌を歌っても、持ち歌の中から掘り起こしてやっても、いつもその人の新しい個性に出会う。技量もなかなかのもので、もうプロとしてもやっていけるのではないかと思うほどだ。そして、なにより言葉を丁寧に扱い、自分の声で表出しているところが憎い。たとえば、曇り空の下の都会の憂鬱を「ニジマス」であしらったり、「サヨナラの忌み言葉、いつかまた」などと口にしたことを後悔したり、詩も曲も素晴らしい。みんなかなり真剣だが、一方で、そういう自分を客観視している余裕があるのが分かる。

わたしにとっては、月一回の「表現の集い」は、もう人生そのものなっている。老人がギターを担いで歩く姿を高校生がびっくりして眺めていても構わない。きっと優しい主催者たちが、寛容に受け止めてくれているからだろうけれど、ずっと「シンガーソング・ライター」でいようと思う。「関西フォークソング・ムーブメント」の申し子なのだから。                                                                                                               ( 2021.9.19.)

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