あらたな人生
緑の木々に、美しい光が静かにふりそそぐ朝です。
昨日8月23日は、高麗さんと先生が出会われた尊い日であり、お兄様のお誕生日ともお聞きしています。自分にとっては前夜が母の旅立ちとなりましたが、昨日は三回目の出産、息子の誕生日でもあり、人生の大きな契機となった日でもありました。
母のことでどうしても何とかしたかったことは、仲間が尽力してくださり、自分の心からの願いは叶い、安堵しました。先生、高麗さん、多くの方々が御心を寄せて下さり、支えて下さっていること、いまだつらい気持ちはありますが只々感謝よりありません。
そして、京都でのコンサートをライブ中継でともにさせて頂き、ほんとうに有り難く、先生のお姿、全身全霊であらわしてくださること、感謝とことばに尽くせず只々頭が下がります。
やさしく美しい音の空間、場を超えてひとつに、胸の痛みもとけていき広がり、母もともにあると感じ安らぎました。空間と身体はどこまでも広がり、ここから一歩踏み出し進む力を頂きました。
二部、高句麗を感じる演奏、パイプオルガンの演奏に、おおいなる存在、たくさんの魂、先祖の魂、たくさんのことがはたらいていると感じ、ひとつに生きることそのままに経験させて頂きました。ところがふっと何か別のことが頭に浮かんでしまい二部の演奏が終わり、心底焦り、このまま終われないとアンコールは一音一音集中しました。
すると「直視する」と言葉になり、深く認めました。
これまで、個人的にも、仕事でも、生死に向き合うことの続く人生です。その事はずっと考え続けてきましたが、ある瞬間、の判断、決断、動きで、そのときはわからなくても結局生死につながります。常識を超えて決断、動いたときに奇跡的に道ができ助かることもあります。正直に辿ると、ある瞬間にあることを、そらしたり、甘くみたり、打ち消したり、ごまかしたり、常識に合わせたり、、、、ということが自分にやはりあったことを認めます。もちろん当たり前のことは当然行いその上でいつも改善し取り組んでいることですが、高麗さんの書き込みを繰り返し拝読させて頂き、引用させていただき恐縮ですが、「今日から、先生が講座にて示してくださっているように、全てを受け容れながらも即時に判断し、次々と答えを出してゆかれるように全身全霊ではたらいていくこと」を自分自身も指針とします。
おおいなるはたらき、カイロスとつながる生命、余計なものなく美しい内面で、真剣に瞬間瞬間 動いていくこと。すべて見直し、早く身につけます。高麗さんのお言葉に心より感謝し、自分自身もやることがあると生命がわかっていることに向かい、母の魂、ともに生きる魂ひとつに、ここからのあらたな人生を生きます。
心より、ありがとうございます。
天田敬子