盛岡にて
盛岡に無事に着きました。窓の外を見ると、森の木々が存在をあらわし光輝いています。この地で初めて「高句麗伝説」を開催した時の前夜、森が存在あらわし輝いていることに大変驚きました。まるでスポットライトが当たったように、暗闇の中で森が浮かび上がったのです。自然の風景は一瞬にし劇場と化したと感じ、初めてのことでしたので、胸がドキドキし、風の声を詩に記しました。「君」と呼ぶ声が聞こえます。この地には高句麗魂が眠っているのかと驚きました。この地の縁は、歩く中で、知る事もなく、感じることもなかったことを知るのです。偶然、出会った地に駒形神社があり、お参りをすると、感涙にむせび、「君」と呼ぶ声が聞こえ、聞こえるままに詩に記しました。気づけば号泣していました。今日もスポットライトが当たったように光り輝き浮かび上がる森を見、この地で出会った魂、真を考えました。やがて、森と一体となる大きな黒い雲のような存在が見えはじめ、震えました。何かと考えました。山の神という表現になります。ちょうど、先生から山の神のお話を伺ったばかりでしたので、先生が表現される時は山の神が動き、あらわれる時だったのだとわかりました。私が外を見た瞬間、光が飛びました。星かと思いましたが、すぐに消えていきました。この瞬間も胸の内はドキッとする音が聞こえるように衝撃を受けました。ふと、ある存在を感じ、左の方へと目を向けると、そこは神話の世界でした。龍のような、神のような存在が現れていました。先生のコンサートや「高句麗伝説」にて、先生の演奏から見える世界は自然界の現れなのかと考えました。いつもは先生の音を聴きながら,目を閉じると見える光景が北緯40度の地では、夜空に現れています。神々あらわる光景です。雲は、私が描く心模様のようです。大空に向かい心模様を描いているようで、とても気持ちが大きくなり心が広がります。自然の生命は盛岡での先生のコンサートを待ち望み、備えていることを感じ、強い味方にお会いできたようでとても勇気づけられます。
道中、春の海の香りがしました。震災後初めて宮古にコーヒーの炊き出しに行った時、筆舌に尽くせぬ惨状となっている海辺の町の心痛む状況を見ながらも、海には春の香りがしたのです。何故かこの時のことがずっと心に在り続け、時折思い出すのです。自然の生命は生き続け、働き続けていることを生命で感じ、人間はどう生きるかを考えます。
着いた時は体中が痛み、わさわさとし、とてもやすらぐ状態とはなれませんでしたが、ちょうど先生からのお話をスタッフに伝えた時に、何故そうなるかが初めて見えてきて、解決の糸口が見えました。自分で解決できるように表現すること、動くことはやらねばならないことと最近気づき、正そうとしていましたが、今までの反応で体がしんどくなり、過剰に嫌がる傾向があると気づきました。やれば全てが良くなるのです。全ては避けられないこととわかります。避けては生きていけない人生、仕事。。。と以前先生が本音で生きてくださいの本の帯に書いてくださったお言葉が心の中で何度も生まれてきます。人間としどう生きるかを常に学べます人生は最高に恵まれています。明日も東北センターにて「死について」と応用コースがありますことはありがたいことと感謝します。ありがとうございます。