KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます。


先生のお誕生日という特別な日に、京都にて過ごさせていただいた一日は誠に特別な一日となり、感謝申し上げます。
6月の連続コンサートを経験させていただく中で、自分の人生のことを考える機会を頂き、自分の生涯、死んで終わらない人生のことを考え、どう生きるのかを考え続けていました。生涯というと、生きているうちのことを考えますが、死んで終わらない人生と考えると、より生きているうちのことが問題になります。今、死んでしまったら自分の半端な状態もそのまま残ってしまうと考えると、尚更このまま生きるわけにはいかないと感じ、どう生きるのか考え続けていました。自分一人で考えていてはいつの間にか考えが偏ってしまうことに限界を感じ、今まで興味を持てなかったことに意図的に触れる機会を作ったり、人にお会いすれば、自分の考えていることをそのまま話し、人生のことも、どのようにお考えになっておられるのか、真剣にお聞きしていました。それでも自分の問題としていることは問題としてあり続け、このまま自分の考えが凝り固まってしまっては、それこそ抜け出せなくなってしまうと感じ、焦りを感じながら向かった京都でした。

幻のコグリョカフェに伺わせていただき、高麗さんに詩を書いていただくという大変尊い機会を頂き、詩にしていただくことで自分のありのままの状態を認めることができ、感謝よりありません。自分一人では認めることのできなかった、図星と言うよりない今の状態をそのまま言葉で表してくださり、自分の状態を認めると同時に生命の可能性を感じ、全く新たなところからスタートを切れます。幻のコグリョカフェに伺わせていただき、自分だけがこんなに恵まれた経験をさせていただいて良いのかと感じながらも、経験させていただいた自分には責任があることを感じ、自分のやることは経験を活かし、より良く生きていくことであると、気持ちに整理をつけ、コンサート会場に向かいました。

コンサートでは先生の演奏を聴かせていただくと、幼い頃より経験させていただいてきたコンサートでの経験が、蘇るようにして湧き上がってきました。幼い頃より一貫して経験させていただいていた優しい風が吹きました。
6月に沢山のコンサートを経験させていただき、とても素晴らしい経験をさせていただきながらも、本当に申し訳ないながら、変わらない自分の状態があることに気がついていました。ある意味では、これだけコンサートを開催してくださったからこそ、問題にせざるを得ない状態にしていただけたと感じています。そのことがある以上、自分には歪んだ人生より生きれないと感じていましたが、その根本をコンサート中に自らの内に見ました。それは個人的な小さな問題であっても、解決できないままにしてしまい、拗らせているうちに問題として捉えられなくなり、盲目的になり、部分でより生きれなくなる有り様でした。とても滑稽な有り様を、それも自分であることを認め、コンサートを経験させていただくうちに、自分が問題にしていたことが問題ではなくなっていき、より大きなことが問題になっていくことを経験しました。

京都へ伺う前には全く想像もつかなかった状態となり、仙台へと向かっています。コンサートを経験させていただいた後には、毎回が新たなスタートになります。
ありがとうございます。

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六本木高麗恵子ギャラリーにて
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東京高麗屋にて
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オレンジとりんごのジュース。コンポートという名前だそうです。 ウクライナの続きです。