「命」問答
先日、小学校三年生の男の子が、「先生、命って、どうしてできたんですか。」と聞いてきたので慌ててしまった。「命」について、このところ気になって仕方ないときだから。AIで「命」と同じものができるのかどうか、「アルゴリズム論」万能でないことは、先日の「存在論」ではっきりしたけれど……。まさか理科の先生に聞いてごらんともいえないので、「それは簡単には答えられないし、まだわからないことだらけなんだよ。命があることだけは、確かなんだけど。宇宙の始まりから考えないといけないんだ。」としどろもどろの返事。
ちょうど、その日、六年生の文章題が、松井孝典氏の『われわれはどこへ行くのか』であり、そこに、“「生命とは何か」は答えられない”と明記されていたのでホッとする。(傍で聞いていた兄貴の方が妙に感心する。)しかし、その後で、「地球上の生命とは何か」という問いの立て方なら、ある程度答えられるとあって、それは「細胞」という構造の維持と、次世代への伝達と言えるとのこと。で、またわたしにはわからなくなった。
ところが昨夜の夕刊(毎日新聞)に、西垣通氏の「生命現象めぐる大胆な仮説」という記事があって、「生物と機械とは違う。だからAIが人間の仕事の一部を代替しても、われわれの仕事がなくなることなどありえない。」と書き出していたので、またホッとする。そして、「細胞内の自然は、熱力学第二法則が成立しない。」「目的をもって秩序を作り、生きていく生物なるもの。その秘密は、まだまだ解き明かされていない。」と続くので、安堵する。
わたしは、「命」の存在を疑っているわけではもちろんない。「いだき」で「命の輝く」世界に生きることを目指していることに迷いはない。ただ、自分の「命」について、全く分かっていないことがもどかしいのだ。子どもに説明もできない頭の悪さを何とかしたいのだ。(こんなこと考えているから、「血圧」が上がるのか……。)