はるかな中心とピアノ原語
いだきしん先生のメッセージをお聞きし、どりーむホールのコンサート空間に存在し、その経験を生かそうとする自分を感じた時、天性の一つは明確に自覚しました。ここにいる今、ここにある自分とは?世界中、地球中、宇宙中でここよりない空間に「今ある」ということはこの道を選んできた自分があります。2年ほど前からいつかある将来のある状態を予感して、そこへは向かう準備をしてきました。結果的には予感していたのは今回の集中修練の機会であったと感じます。
今振り返ればさらにその25年ほど前に武道館で開催されたST5の宇宙樹の「はるかな中心から生命力あふれる未来の中心へ」というメッセージで先生によって表現された「・・自然、世界の中心からエネルギーが噴き出しています。このエネルギーが各自の生命の中心に反応していることを自覚するなら、人類史始まって以来の未来を開く大きな機会が、個人、政治、ビジネス等あらゆるところに存在することが理解できます。新しい想像性が芽生えるとともに理性、感受性に光が灯ります。想像性なくして創造はありえないのです。」・・・このメッセージがずっと生命の奥深くにあります。そう!! この「新しい想像性なくして創造はありえない」という言葉がずっとありました。先生の言われる「新しい想像性」は内面の変容によってしか得られない力だと理解してきましたが、中々そこへは至りません。ただ向かい続けるしかないことだけは「真理とは探求し続けるその状態にある」とお聞きした30年以上も前からとてもすんなりと理解できていたので、今もぶれないでやり続けることに繋がっています。
1994年当時は宇宙樹のメッセージを読み解くことがとても難しかったのをよく覚えています。とんちんかんな質問ばかり繰り返していたことを思い出します。ここへ来て「はるかな中心から生命力あふれる未来の中心」という意味がこの集中修練の場で、コンサート空間で、講座でやっと理解するスタートラインには来たと感じられる今です。この25年間の道のりは同時に自分の資質を生かして社会に貢献する具体的な生活をどのように創っていくのかが大きなテーマの時期でもありました。「世間時間」も山ほど使いました。「いだきの神髄」をわかるために自分自身が先に行くためにはどうしても「自分でやる」修行は必要だった、と今振り返っても考えます。「いだき」を受けながら「いだき」の応用が自分自身に試されていました。先生ご自身の経験を何度も何度も伝え続けていただくうちに、現象ではなく先生が「その時その場」でとられた行動、行為の「内面の動き」がとても大事な追体験でした。追体験を通して生き方を学び、自分の生きる現場に応用するいだき応用講座があり、アントレ、存在論、死について、そして最大の要のコンサート、高句麗伝説の経験をずっと高麗さんがプロデュースし続けてくださり大いに助けられてきました。
わたしにとっては特にピアノコンサートが難関です。ピアノ言語(原語)という表現を少し前から勝手にさせていただいていますが(わたしには「原語」がぴったりときます。)先生の生の声でお聞きするお話は理解の入り口には立てますが、ピアノ原語は中々入り口にも立てません。4月からの集中修練で昨夜は余計な意識がなくなり、集中して聴ける状態がやっと身についてきた感じでした。というべきか、前向きに考えれば「聴く姿勢が身につく」というのはわたしには飛んでもない変化ではあります。道のりはまだはるか遠くに感じますが、新しい想像性を身につける訓練の場があることが大変有難く、生きる楽しみです。いつもありがとうございます。