愛の国創り
無観客ライブ配信という初めての経験に、なぜかドキドキしました。画面に映し出されたパイプオルガンは黄金に輝き神聖な空間が広がります。会場には観客が居ずとも、高麗さんのメッセージを読まれるお言葉から全世界の観客が参加していると壮大なコンサートを感じました。コンサート前日のボランティアミーティング、ビデオ講演会では、真正面、ど真ん中にいてチケット販売をしていない状態を認めざるを得ませんでした。前日に久しぶりに参加させて戴いた高句麗伝説上映会のサロンにて、高麗さんに出会わせて戴いた魂を感じ、真の自分を現わす人生がはじまったことを改めて認識します。が、外に向かって高麗さんに出会うこと、いだきしん先生に出会うことより、人間として生きていけないことを伝えられない自分は、高麗さんのお言葉から愛の状態で生きていないことに気づかせて戴きました。何年も先生のコンサート、講座に参加させて戴きながら、愛で生きれないのはと問いながらのアントレプレヌールサロンへの参加でした。これからの経営は「共感」経営とのお話に、愛の状態無くして生きることもできず、まして仕事で成果を上げることなどできません。チケット販売数が愛のバロメーターです。もちろん数ではないことは、高麗さんの「悪魔的」というお話からも理解できます。愛がなければ人間にはなれない。アントレでの高句麗を建国された朱蒙様のお話をお聞きしていると高麗さんの一言一言、行動されることに愛を感じ、心触れ合うことで人間になってきましたことが思い起こされ、この多くの経験を活かさずしては人間になれないと感じます。。強い弓を引く朱蒙様。未来へと矢を放つお姿。府中コンサートでは、一歩一歩歩みを進めるお姿は愛溢れる生命であります。想像すらできない深い悲しみ。元々「天に愛され生まれた生命」は悲しみを愛で変えていく強さがあり、高麗さんと重なります。アントレの講座中、先生が愛を注ぎ続けてくださっているのをわかると、どうしようもない運命で生まれ愛も知らずに育った自分ても、愛を経験する機会をずっと与え続けてくださり感謝よりありません。「愛に溢れる生命」でお生まれになった高麗さんに魂出会うことで人生が変わる経験を社会に現わすことよりありません。愛の経験を自分だけにした途端、愛じゃなくなります。家族である母には幸せになって欲しいと感じていても、自分が不幸にしているんじゃないかという罪悪感があり、何かをしてあげようとしていても、それを良しとはしてくれません。「共感」できない自分だから母が幸せにならず、自分も幸せではありません。幸せを感じる人間。高句麗伝説に向かってのコンサート、明日の迎賓館コンサート、そして5月13日高麗さんのお誕生日の無観客の高句麗伝説。無観客の状態でのコンサートの凄さを経験して、高句麗伝説はどの様になっていくのか全世界配信に何か凄いことがはじまったことへ畏怖と感謝よりありません。
ありがとうございます。