「嗁(さけ)ぶ」
塾に来ることは来たが、やる気のなさと体調の悪さを隠さない浪人生を、なだめすかして、「漢文ドリル」を音読させているうちに、かれの声がしっかりし、表情も蘇り、それどころか、クスクス笑い出し、ついに笑いに堪えられなくなる。「どうしたの?」と聞いてもなかなか答えない。やっと、「泣き叫ぶのなら、泣き叫び返したらよかった!」と言う。――よくわからないが、かれが元気になり、朗らかになって、勉強したのがよかった。問題文は、
淮南子の一節、「孟孫猟して麑(げい・小鹿)を得。秦西巴をして持ち帰りてこれを烹(に)しむ。麑の母、これに随いて嗁(さけ)ぶ。秦西巴忍びず。放してこれに与う。」〔孟孫は怒って秦西巴をクビにするが、一年後、自分の子どもの家庭教師として秦西巴を再任するという話。過失が信頼につながる主旨。〕
父親に対する不信、母親に対する不満がかれにはあることをわたしは承知している。だから、多分、「嗁ぶ」という言葉がカギだったのかもしれない。感情をちゃんと表出する機会があまりにも少ないのかもしれない。
「本音で生きる」ことの第一歩として、「笑顔で話し合う」ことだとわたしは考えている。理屈に合わなくても、おかしいなら、大いに笑っていいのだと思うし、それをそのまま受容してやればいいのだとも。感性を育むことが、いまの時代とても重要だ。