KEIKO KOMA Webサロン

今まであらわることのない存在現れ


昨夜の地震はとても怖く感じ、いつ何が起こるかしれない状況にあるとは日頃から感じていることでしたが、やはりいつ何が起こるかわからないと昨夜は地震によって、身にしみました。先日の仙台コンサートと結工房での先生の焙煎日には、東日本大震災から10年経つ今年ですが、震災が起こった年のように感じることがあり、今年から復興支援の活動を再スタートすることの必要を痛く感じたのでした。昨夜の地震をもって行動に起こすことなくしては、何を感じようと、手遅れとなり、自分が生きることはないと感じ、地震が収まり、関係者に電話をし、無事を確認した後は、書き込みをさせていただきましたようにコンサートのご案内を書きました。そしてずっと気になりながらも、やれていなかったことをやり始め、終わらせました。お風呂に入っている時もいつもと同じでありながら時間にするととても短い時間であったことに驚きました。行動が早くなり、次から次へと動いていました。やる気になればこんなに早く多くのことができることに気づきます。

今日も無事に会場に着けますようにと真剣に向かいました。メッセージ第一部は「運」です。

「人智では計り知れない身の上の成り行き。運に任せても人生は成り立ちません。ただ待っていても幸運は訪れません。運は天にあり、とも云いますが、この「天」とは何でしょう。天運。天命。」

改めて運と天について考えながら演奏を聴かせていただきました。先生のメッセージは勝手に解釈もできず、わかるよりないのです。いだき講座にて受講生の運命を調べさせていただいていますので、運のままに生きたら親や先祖が生きたことを繰り返すこと、終わるよりないことをわかっています。「天」も高句麗伝説にて詠ませていただく王の詩では「天には限界があることを知りつつも天と共に生きるよりない悲しみ。愛。」と表現するよりありませんが、悲しみと詠む時、胸の内は涙よりありません。涙によってより表すことのできない深い悲しみを感じています。「天のはるか向こうの世界がひらかれない限り、人間は幸せになれず、国は繁栄しない」とも詩に詠んできました。天は人智を超えた世界で人間の人生を見、定めている神のような世界と感じます。それぞれの人生を定めている天の枠や境界を取り払い、天空を整理し続けてくださっていると見えました。頭の上が軽くなり綺麗になっていく感覚が気持ちよく感じました。自由を感じます。私はそれこそ幼い頃より、頭のかなり上から自分を見ている存在を感じていました。自分が生きたいようには生きれずに、頭の上から私を見、私が生きる道を示していると感じてきました。頭の上が何もなくなったように感じ、また新しく生きていけると感じました。

第2部は「運命愛」

「フリードリヒ、ニーチェの基本的な理念のひとつです。日本国語大辞典によりますと「いかなる境遇であれ自らの生を深く愛し、自己の運命を積極的に肯定し、生き抜こうとする態度」のことです。積極的に運命を肯定するということは生まれながらにして肯定できない運命をひとつひとつ明確にし、自己を超えた存在に受け容れられてはじめて乗り越えられます。意志が明確になり、自己の「運命愛」を受容できます。真の愛に到達した証です。」

肯定できない運命をひとつひとつ明確にし、自己を超えた存在に受け容れられ。。とはいだき講座にて行っていることです。意志が明確になりますことが運命愛を受容でき、真の愛に到達した証となるとは大いなる喜びです。演奏からは、ある存在が現れました。やっと現れ出たと感じ、お会いしたかった存在です。そうであることを魂では感じているのに私は存在がどなた様かを表現できずにいます。とても人間的で親しみを感じるのです。大いなる存在、人智を超えた存在が見える時、人間的という表現は使えないのです。畏れ多く、人智を超えていますので、とても人間的とは表現することも憚れます。今日現れた存在は人智を超えて畏れ多い存在でありながらもとても人間的ですが、今ある人間とは全く異なる人間です。全ての生命とひとつにありながら、固定せず、人を束縛もせず、管理コントロールなど無縁な世界です。まるで風のように、自由に動き、私たちも自由に羽ばたき、動けるのです。父と表現したいように感じても自分の父ではありません。ふとこの地の国司を務めていた好太王様後裔の高麗氏の魂が蘇ったのかとも感じましたが、個人ではないことはわかります。国創りの神とも感じます。やっと現れ出たので、救われたと感じ、安堵しました。これで日本は大丈夫と憂いが消えていきます。先生が別のお姿で現るとしたら、このような存在なのでしょうかと想像もしました。とても心踊る演奏です。この存在が現るなら世界は良くなると見え、これからにとても希望を感じます。

演奏は次の場面へと移りました。私は急に虚ろになりました。どこに焦点を置いたら良いかがわからなくなりました。昨日のコンサートメッセージ「心身は生あるうちはひとつ」を考えました。「心身は部分的に使われ、部分的に使い、かろうじて分裂しないであれば一応はよしとしてそのうちに慣れてしまいます」も自覚するところです。夜はなかなか眠れないのは心身がひとつでないからとは常に感じ、いかに乗り越えるかを考えます。「しかしながら、大きな社会変動、あるいは自然災害などがあった時にすぐに立ち行かなくなります」昨夜の地震は怖く感じ、身が震えていました。その後は先ほども書きましたが、やるべことを素早く行い、何があっても動けるようにと必要なものを整理しました。今までのようであってはそれこそ立ち行かなくなると感じたので、コンサートメッセージがよくわかりました。今日の演奏では、私の心と体と頭はひとつではなく、バラバラと感じたのです。昨日は胸の痛みにより、気持ちは早く動きたいのに体がついていかないことを考えました。昨年末の胸の苦しみにより動けなくなった時も気持ちがあるのに動けないことは辛いことと身に沁みました。一昨夜ももっとやりたかったのですが、胸が痛んでできなかったのです。ところが昨日のコンサートが終わり、直後は打撲を受けたようにズキズキと痛んだ胸が、今朝には痛みもなくなり、昨年からあった胸の苦しみが引いているのです。先生からは胸を押さえていたものが抜けたので明日には良くなるとおっっしゃっていただいていました。私もそう感じていました。それは胸にはめ込まれた蓋かネジが外れたような音がし、その後、打撲を受けたように痛み始めたのです。抜けた後の痛みと自分でも感じていたのです。先生は今までより楽になるよとおっしゃってくださいました。今日の胸の状態は今までより楽になっていました。より動けるようになっています。気持ちがあれば体も動けるようになれることに喜びを感じました。が、演奏をお聴きし、頭もずれていることに気づきました。頭は虚ろです。どこに焦点を絞って良いかがわからずに、ぼーっとしています。そうかと思えば、次から次へと頭が回りくるくるすることもあります。頭と体はひとつではなくなります。意識先行することが多く、体がついていけないことを自覚することがあります。ふとこの世には焦点を合わせるところがないと気づきました。どこであれば焦点を合わせていけるのかと考え、先生の演奏を目を閉じ、真剣に聴かせていただくと、実によく見え、メッセージまで聴こえるのです。この世界であれば焦点も合い、生きていけると驚喜しました。これからは先生が表現してくださる宇宙の生まれる3段階前の世界、大いなる存在現る世界に焦点を合わせ、心身がひとつに生きていけると希望の光が見えました。今日もはじめてお会いできましたもっともお会いしたかった存在にお会いでき、歴史が変わる音が聴こえました。府中の大きな会場はいつも歴史的です。人智を超えた経験をさせていただきます。私は昨日のコンサートから、何でもできると感じられるのです。やっと時が満ちたので、これからは実を結ぶと感じ、心がときめくのです。11日からのコンサートは家の前に車が突っ込んでくるという大爆音を聞き、胸に衝撃が走りました。昨日は地震により衝撃を受けました。衝撃を受け、震える胸の内は何かが始まる予感にときめいているのです。遠目に光の花のように輝く白梅を見ました。とても美しい光景でした。見た瞬間、「やっぱり、真の春が来る」と心の中で叫んでいました。この経験をさせていただき、また明日へとコンサートが続くのです。かけがえのない経験ができる人生です。畏れ多くもありがたい気持ちで一杯です。ありがとうございます。

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