KEIKO KOMA Webサロン

会話向上のために


高校生たちと文章の解釈を巡って、意見を出し合い、分かち合い、読みを深める授業は実に楽しいのに、職員室に返ってくると、全くそういう会話がないのが面白くない。教員にかぎらず、大人たちが楽しく会話し、相手と自分の理解を深めるようなことが少ないように思う。疑心暗鬼、人も自分も傷つかないようにすることばかり夢中で、言葉尻をとらえられないように、どうでもいいことばかりで、その場をやり過ごすことしかしない。「一言」に脊髄反応したり、意気消沈したりしすぎるようだ。どうして、お互いに不完全であることを認め合いつつ、共に前進できるような会話をかわそうとしないのか。失言があってもいいじゃないか、誤解があっても構わないじゃないか、もう一度話せばいいこと、そしても互いの深い心に気づけば済むことと思う。今日、学校で、石田衣良の「旅する本」という短い小説を鑑賞していて、「説明」より「描写」が、状況をよりクリアに伝えていることを講義しながら、これをなんとか会話にも応用できないかと考えたのである。みんな、説明しすぎるのである。何とかわかってもらおうと必死になって状況を説明しようとする。だから、余計に相手には伝わらないのだ。到底他者と同じ磁場には立てないのだから、「わたしはこう言ったのよ!」と説明しても、相手にはわからないこと。一言、比喩でもって描写すれば、「そういうことか!」と一変に理解されるのではないか。下校中の車内で、女性たちが、何とか自分の行動が正しかったことを言おうとして、ちっとも相手は聞いてもいず、自分の方が正しいのだと主張するような会話を聞いていて、余計にそう思った。マスク越しにコロナ菌が飛び交っているようで不快だった。

 

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