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雨の日の始まりの朝


22日の三鷹でのコンサートの翌日は雨でした。
雨の中、傘をさして歩きました。
コンサート後半での心のすっきりしない感覚が残っていて、歩を進める脚が重たく感じられました。

コンサート第一部では、自分が何も無くなり、先生の演奏される音の只中に、ただそのままに居て、深い幸せを感じていました。ところが第二部になり、自分が望みもしないのに、愛に反する想念が勝手に心の中に割り込むようにして入ってきたのです。それを何とかしようとすればするほど、ますます頑なに、テコでも動かないぞとばかりに居座るので焦りました。
最後のアンコールの手拍子では、愛に反するモノを払い、浄め、捨て去るように力いっぱい手を叩きましたが、心はすっきりとしないまま、コンサートは終わってしまったのです。

井の頭公園沿いの道を、頭を上げて、ひたすら歩き続けました。
バスや車が絶えず行き交う、いつもと変わらない慌ただしい朝の大通りですが、
この日はなぜか静かに感じられたのは雨のせいでしょうか。
毎日少しずつ秋の色を深めていく公園の木々を背景に、細かな雨粒は絶え間なく、
木々の上にも、車やバスの上にも、道の上にも、行き交う人々の上にも、そして私の上にも・・余すところなく、降り注いでいました。
耳を澄ますと、繊細な雨の音が、空の遠くから聞こえてきます。
・・不意にそれが、先生の演奏なさるピアノのきめ細かな音の連なりに聞こえました。そして雨そのものが、先生の存在そのものに感じられました。

木々も、いつしか歩道を彩り始めた落ち葉も、そして道端の雑草も、小さな花も・・みんな雨に打たれることを喜び、輝いていました。木は木らしく堂々と、歩道はより歩道らしくしっかりと、草も花も輪郭をきりっと、それぞれの存在を顕し、みんな雨に降られてニコニコ笑っているようでした。

私の横を、沢山人を乗せた通勤バスが、鈍いエンジン音をたてて通り過ぎていきました。
バスは大きな灰色のほこらに見え、その中で人々はそれぞれに孤立して、悲しげに、俯いているように見えました。
人間だけが雨を喜べないのだ。バスに乗っているから、ほこらに入っているから・・そう思ったとき、
私は広い広い世界で生きるぞ、おおいなる存在に心を合わせて生きるぞ!・・と心に叫んでいました。

愛に反する思いなんか、バスごと捨ててしまえばいい。バスもろとも勝手にどこへでも走って行ってしまえ。
バスから飛び降りて、ほこらから飛び出して、先生のピアノの音が降り注ぐ愛の世界で私は生きる・・!
雨が絶え間なく降ってくる高い空に向かい、顔を上げ、何度も心にそう宣言していると、
私も木や草や花と同じに、雨に降られることが楽しくて、嬉しくて、喜びに変わっていったのです。
気がつくとあれほど重かった脚はとても軽くなり、体は湯たんぽを入れているように熱く、顔はぽっぽと上気し、
まさに今、昨日のコンサートの続きを頂いているのが全身で感じられて、それがまた大きな喜びになり、感謝となり、嬉しくて、顔を上げてどんどん歩きました。

先生の音はいつも身近な自然の中に、太陽の光となり、風となり、ある時は雨となり・・いつも充ち満ちていて、
全ての生きるものに分け隔てなく降り注がれており、そこに心を合わせさえすれば、今のこの瞬間、瞬間が実はコンサートなのかもしれません。
雨の日の始まりの朝、不意に、生きる世界は急展開しました。
「内面の神秘」「内面の神秘という愛」・・コンサートのメッセージをお聞きした時の、心の深奥のふるえは、
この身体に水のごとく浸透して、どのような花を育み、そして咲かせるでしょうか。

尊い贈りものを、心からありがとうございます。
日付は今日となりましたが、三鷹でのコンサートがとても楽しみです。

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