奇跡の日々
京都「死について」御講演の衝撃残る中で 8月27日、迎賓館コンサートに参加しました。必ず人は死ぬということはわかっていながら 自分の死については考えられず、あいまいなまま 日々の空談を繰返し時を濁す。死をわからないまま済ませ生きている状態、死を考えられないことこそが頽落、と伺い、人は皆 世界内存在として公共性の中で生き、公共の場で 大切な死について等語るべくもなく空談に明け暮れる。人が作った社会の規範の中で 各々が何らかの部分の一つとして使われ、命を部分的に削り、本来の自分など考える機会もなく自分を失っていく。そして 常に世界劇場で役割を演じ、各々は本来の自己を身体の奥に押し込め疎外された状態にある。疎外。いだきしん先生から 上記のこと、疎外について これまでも教えていただいてきましたが、先日の「死について」御講演で 外側にいて解ろうとずっとしていた自分の身体が 途中 全体のなかに入り、どこにいるかも判らないような 先生の御声だけが全身に響く状態になりました。翌日の迎賓館コンサートでも 音が全身に鳴り響き、前日と同じ状態に。それはこれ迄の 先生のコンサートでも時に経験していた感覚でした。
この世界内に、生きて在りながら 全体を取り戻すことを日々体験させていただいている。まるで初めてのように実感し東京に戻りまして、今日、また先生のコンサートに伺える奇跡に感謝します。真にありがとうございます。
岩村ゆかり