あの音の風
山と水と光と風…空間が、高麗恵子さんといっしょになり動き、写しだされていく類稀なるマーブリング。さらにさらにと高みを越えていく場面がやってきます。
勢いよく山の水が張られ、水に夏の光が差し、水がキラキラ光って水面を離れてキラキラしています。感動にひたるまもなく高麗さんが、染料を動きながら放ちます。すごい場面なんです。誕生したての水に濡れた天の衣に夏の日差しがあたると、また、えもいわれぬほど美しく、あらわれた新しい世界に鳥肌がたちました。「世界中で…」と高麗さんがおっしゃった時は、この場面を沢山の人々が山の斜面から既にみているような気配で驚きました。
準備の時から子鹿さん達が山の斜面から制作の場をみて、たちどまり又ポーンと跳ね上がるように山の奥へ駆け上がっていきました。何かがはじまる予感を感じているようにうれしそうです。(私がうれしいのかもしれませんが…)
休憩の時、みんなで白いコーヒーをいただいている時、ふーっと風が吹いてきます。あまりにやさしい風です。コンサートの時のあの音のようなのです。こんな感じがずーっとあれば、幸せです。
夕方には、「死について」に参加いたしました。お話しをお聴きしながら、タンザニアコンサートの時の趣意書「赤子の産声」をおもいだしました。世界内存在。違和するまあるかった生命、はねよけるように泣き叫ぶ声を発して生まれたのに、いだきに出会えた生命なのに、埋もれている現状、経済のために何かにのっかっていたらもう先がない事を認めます。
「死んだら全体」と先生が、おっしゃられた時、先生が生まれてくださったので、死んだ後の空間が今までとはまるっきり違うところまでもきたこと、ものすごい場面にきていること、認識します。
コンサートの場に身を運べる方々へ出会えるように、自分のアクションを変えていきます。ありがとうございます。