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10月に向かって


9月の最後になって、私の中で大きな動きが起こりました。1つは仕事のことです。絶対に自分は手が届かないと思っていた評価ランクに達成することができました。途中で思わぬことが起こりましたが、やれることはすべてやり、後は運を任せると決めました。休み前の金曜日に確定との連絡を受け、自分を信じてやり続けてよかったと嬉しさがこみ上げました。ランクが上がったことによりハードルは高くなりましたが、下期の10月からはゼロスタートです。今まで培った自分のスタイルにこだわることなく、また新たに取り組んでいきます。2つ目は母のことです。昨年の暮れから今の施設より、ずっと云われ続けていた特別養護老人ホームへの入所ですが、5月末に決心して申し込んだ施設から同じく金曜日に連絡がありました。10月1日から入所が可能とのことでした。手続きにおいて以前から懸念事項であった2人目の連帯保証人をどうするかと問われました。その後、叔母にお願いの連絡はしたものの、何かが引っかかる様子でした。夜に改めて電話をすると、母と叔母の姉妹関係が子供の頃から悪かったことがわかったのです。90歳を過ぎた姉妹は、長い間お互いに確執を抱えたまま今に至るのかと思うと、叔母の一言一言が胸に刺さります。こうしてこの確執が叔母から従妹へと続いていくのでしょうか。亡き父のことまで話が及ぶと耐えられません。ですが、叔母も辛いのだとわかりました。私のことを思い、連帯保証人の名前を書くだけだと思っても、どうしても気持ちがそうならないと泣いて私に詫びるのでした。電話を切っても胸が重く詰まったままでした。何を云われても私は母の娘であることを、こんなにも強く思ったことはありません。亡き父の写真を見つめながら、何をすべきか問うていました。翌朝、最後に頼れる叔父に電話を掛けました。留守電に入れた後、92歳の母が幸せに過ごせることだけを考えていました。叔父から電話が入った時に素直に昨夜の叔母との話を伝え、母が特別養護老人ホームに入るために助けていただけないかとお願いしました。叔父は即座に快諾してくださいました。思わず泣きました。「あの2人は昔っから合わないんだよ、女ってやつはどうしようもない。金はないけど、俺でよければ書類でもなんでも書くさ」90歳に近い叔父は、亡き父を慕ってくれていました。思わず叔父に頭を下げると同時に、父にも感謝の気持ちでいっぱいでした。電話口で代わった従弟にも用件を伝えると「父が承諾したことに俺がとやかく言うことはありません。姉弟だから助け合うのは当然」その言葉に号泣しました。父が亡くなって以来、話すことはありませんでしたが身内のありがたさが、こんなにも身に沁みたことはありません。1人っ子である私にとって母が倒れて以来、常に2人目の連帯保証人をどうするかが課題でしたが、この度も助けられました。叔母との会話を通して、私は先生と高麗さんに出会えたことで過去のしがらみがないことが、こんなにも大きく違うことなのかとつくづく実感しました。その自分を活かしていきます。明日、施設の方と相談しながら入所の手続きを進めていきます。母が幸せに過ごせることが1番です。10月に向かって動いていきます。ありがとうございます。

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