8月15日コンサートを経て
ある場面で、ピアノの音が空襲のように感じられました。爆弾投下、炎の海、逃げる民と空からも地上からも見えるように感じられました。以前、知覧の平和会館のことを書かせていただきましたが、書き込みを拝読し、また改めまして書かせて頂きます。実は、偶然が重なるので、何か「待っている」と感じられ、実際に身を運び、知覧の特攻隊員お一人お一人の顔写真とお名前を漏らさず全部を心に刻もうとまわりました。1036名いらっしゃったとお聞きしました。列島各地、当時の満洲や朝鮮半島の日本国の人たちが集結し、色々な事情を其々に持ち、しかし向かうところは同じでした。15日は白い装いで参加したくありました。どうしてかはわかりませんが、彼らの清らかさは暗い気持ちは相応しくなく、彼らが青竹のように瑞瑞しく、また、真っ白い花のようだったからかもわかりません。何か白い花を手向ける心で白い装いとなったと感じられます。広島、長崎も参りましたが、知覧は若い命とまた関わった命がともに散った戦争として深く胸に刻まれました。行く前から「こんなことを大人が強いてはならない」と憤りがありましたが、実際に、「こういう事は二度とあってはならない。だから日本の将来のために自分は行く(散る)」という旨の言葉を残していらっしゃる方もおられました。どの方も世俗の欲はなく、何かを超越した印象でした。傍らに、ずっと「可哀想にね」と言っている男の子がおり、まだ早すぎると感じられましたが、自分は、「可哀想」は彼らの望むことではなく、彼らの気持ち、志を受け取り、いい日本を創っていくことが望むことと強く感じられました。そして、11日、高句麗伝説に臨みました。レバノンの映像と「フェニキアの精神」が音に、言葉に表現されると、彼らの潔い美しい光は、そこで輝いているとハッキリと感じられるようでした。美しい「魂」は永遠にこの空間にあると感涙が湧き上がりました。この空間にともにあり、世界中の平和を望んでいるようでした。知覧からではないですが、特攻隊員の中には、自らのプライドから命令に背き、必ず爆弾を的中させ何回も戻ってきた方もおられると後日知りました。日本軍のパイロットはかなりの訓練をうけ、世界でもとび抜けた技術、技量があったと理解しますが、私には全体主義に屈しない姿にも映ります。あの過酷な全体主義に歯向かった方は少なからずいらしたことを考えると、今の現状での在り方を考えます。
長くなり申し訳ございません。
先日のレバノンのお写真のことを書きそこないました。
見覚えのある文具や玩具を持っている姿に、私たちの心が届いたように感じられ、涙が滲みました。アップして下さり、誠にありがとうございます。手にする子供たちに、どうぞお役に立てて下さいと祈ります。一人、マーブリングTシャツでない男の子が腕組をして、ふてくされたように写っておりました。リスト漏れか、一人増えたのでしょうか。まだまだ足りないとも理解されるので、もっとやって行きたいと言う気持ちも湧きます。
ありがとうございます。
田嶋利江子