5/23の謝辞
開始から終了まで内面の変化を大きく辿ったことを、ノートを見返して良くわかる。応用コースが始まるときは東北センター特有の辛さがあり、その辛さを味わっているときは、何も無くなる素晴らしさよりも留まっている愉悦をあるべきもののように感じてしまう。田舎は懐かしく胸が痛い。
自然界にある量子論ではポジティブより有り得ないというお話を、いだきしん先生がなさった。名前を暢子から量子に改名したいと思ったが、ネガティブになると食欲がなくなるとお聞きし、その傾向は少ない自分はなんだかんだで『にわか』だと色々バカバカしい気持ちになり力が抜けた。にわかネガティブである。少し前に嫌われてどうしようとネガティブになったが、今では人には『嫌う自由』もあるとわかった。人を愛する自由もあれば嫌う自由もあるのだ。ものや動物もしかり。そして答えはない。かみとひとつになるのみだ。そこに先生がいらっしゃるので、嫌いなものがただ嫌いなまま終わらなかったりすることもあるが、もちろんそうでないことだってあるのだ。
存在論では、内臓に入り込んだりとりつくもののお話があり、自分が過去にした決断で自らしたと思っていたものも、いだき講座前、後どちらも含めて、私がしたのではなく中にあったものがしたのかもしれないと感じた。全部が全部そうではなかったとしても、仰る通り未来がうまくいかないことでわかるものだ。本当の自分は思っていたよりもキレイかもしれないという一筋の希望が見えました。だとしたら生きていける。
表現が必要な時代になった。そのことは良く良く感じる。表現するためにも特に自営業はタイムマネジメントをしっかりしていかないといけない。それが課題である。部屋に戻ると怠惰になってしまう自分を変える。部屋に戻ってから『あ~、疲れた』となるのは、部屋にいないときの状態が問題なのではないかと考えた。あれらの怠惰さがなければ私は随分進むと考える。部屋へ戻ってもきちんとできる自分になるためなら、部屋の外でどんなプロセスを通っても良い。傷ついても間違いだと気付いても、部屋に戻ってからきちんとできるようでなければ、取った行動は一見成功したように見えてもすべては無駄だ。逆もまたしかりで、一見失敗したように見えてもすべては成功なのである。
失敗しながら進んで行きます。ありがとうございました。