4月23日京都高句麗伝説
年初の狛江の高句麗伝説を凌駕するような高句麗伝説はそうそうはないに違いないと感じていましたが、昨日の高句麗伝説はそれを覆す圧巻の舞台でした。最初から最後までトップギアで走っている感じで、すごい体感でした。本当に素晴らしい舞台をありがとうございました。
22日の高句麗伝説の帰りに気にかかる場所があり、見てみると荒神様が祀られているらしく昨日の高句麗伝説の前に参拝してきました。メインの神様にお参りした瞬間に体が火あぶりにされたようになり、主祭神はかまどと火の神様となっていて、悪魔を祓うとか災いを除くというようなご利益がかかれていて、悪魔という言葉が神社仏閣とは違和するように感じていました。変なところに来ちゃったと感じましたが、この火あぶり感は前回の高句麗伝説でも感じた感覚なので、自分自身ではどうにもできないと先に向かうことにしました。
そこから始まり、心地よい抜けるような京都御所の空間で時間を過ごし、会場へ向かう道すがら、会場から一番近い京都御所の出口に向かうとどこからともなくからすがやってきて、その数はどんどん増え、他にはいないのにその出口だけ何十羽ものからすが集まってきて、からすも高句麗伝説に参加するのかとほほえましくなりました。
高句麗伝説がはじまるとすぐに昨日入った永遠の鳥が胸から飛び出し、その羽ばたきと共に空間が拓かれていきました。始めは参拝していた神社の影響なのか、清めの炎の洗礼を受けるように空間が炎で彩られていきました。金色の永遠の鳥とのコントラストが見事で赤と金のゆらめきが圧巻でした。
次に印象的だったのは先生の演奏される太鼓の音を聴いていると手拍子が生まれていて、手拍子をするのかと目を開けて確認すると誰もやっていない、でも目を閉じると縦横拡がった空間に反響するようにものすごい数の手拍子が聞こえ、信じられなくて4回も確認し同じ状態だったので、手拍子入りの太鼓を聴いていました。するとものすごい光量のブラックホールのような渦の光源が天井に顕れ、次々とそこに手拍子の主達が吸い込まれていくように見えました。
終盤に高麗さんが語らぬ神と呼んでいた辺りだと思いますが、ものすごい圧迫感の存在が顕れ、どんどん膨張するように大きくなっていくその存在に体が壊れてしまいそうな感覚になり、自分を空間に明け渡し、空間に溶け込むように自分をなくすと、その内的宇宙に解き放たれていきました。
先生が力尽きるまで演奏して下さったとの高麗さんの書き込みを読み、トップギアと感じたことがなるほどとうなずけると同時に、痛いほどの想いに胸が苦しくなりました。同時に来月の高句麗伝説に恐ろしいほどの緊張感が走ります。渾身の舞台、今後に活かしていけるように努めます。本当にありがとうございました。