3度目の… (その1)
東北への旅を終え無事に帰宅でき、真にありがとうございます。出発する頃は微かであった虫の音は、今は大合唱のすっかり秋を感じる比叡山です。仙台コンサートからはじまり、盛岡での応用コース、そして昨日のNPO高麗東北センターでの作品展、パイプオルガンのある会場でのいだきしん先生のコンサートと長い長い旅をして、帰って来たというよりは、さらなる旅へと向かう準備のための一時帰宅と感じる今日です。
京都コンサートを経験させて戴き、比叡山から帰られる時の高麗さんの一言が原動力となり東北へと向かいました。京都コンサートに参加させて戴いたことは、それまでの貴重な経験とともに大転換となりました。その経験直後の高麗さんの一言「東北へ来ないの?」はいのちの言葉と感じ、実行よりありませんでした。わたしの経済的事情はよ〜くご存知の高麗さんが仰るのですから、あの京都コンサートを経験し、今までと同じことの繰り返しは生きていけないことを自分の生命でも感じていました。行動を変えない限り、いくらいだきしん先生が講座やコンサートで生きれる生命、生きれる能力を開花させてくださっても、自分が行動を変え、やらなくては何も変わらないと実感しました。どこかに勤めている状態では、多分東北へ行くために借金しても行くと考えたでしょう。それは今まで通りの生き方であり、一昨年から体の反応からそういう生き方もできなくなり、自分ひとりではじめた家事代行の仕事で何とかするようになってくると、コンサート、講座に行くと決めると、お仕事の依頼が来るようになって来ました。そして不思議なことにチケット代や交通費など、ピッタリ分の費用が稼ぐことができ、参加が叶うのです。余裕はいつもありません。でも、コンサート、講座に参加できる分はそこそこ稼げる様にはなってきたと感じますが、これでいい訳はありません。次に向かわなければ、生まれた意味、いだきしん先生、高麗恵子様に出会った存在証明することなく人生終わるのです。自転車操業は悪い意味に捉えていましたが、自転車を漕ぎ続けるということでは、生きることは動き続けることと考えるとまさに自転車「創業」であります。しかし、この時代を生き延びようとするならば、直接いだきしん先生にお会いできるコンサート、講座に参加するのは当たり前なので、まずはそれができるようにすること、そして次に向かわなければ自転車は倒れることはわかります。でも気力だけでは続くものでは無く、身体から湧き上がるパワーが24時間、365日必要だと感じます。これも先生がわたしたちいだき講座受講生は出来る身体にしてくださっていることを知ってはいても、自分が証明していかなければ存在証明されないのです。そしてタイトルの「3度目の…」ですが、 つづく