3度目の…(その2)
「やりたいことをやればいい」と、いだきしん先生はよく仰って下さいます。2009年4月末で30年間、国家公務員として病院で勤務していた仕事をやめ、高麗さんと生きていきたいという本音を実現する日々となりました。月に一度給与が入るのが当たり前だった生活から一転し、働かなければお金は入ってこない現実に直面します。お金が無くなることは、命を取られるほどの恐怖となり、今までやっていた病院の仕事のアルバイトをいくつもして食い繋ぐ、地を這うような生活になりました。多くの方々にご迷惑をおかけして、結局はどうにもならない状況まで自分を落としていきました。そのような時、いだきしん先生の面談を受けさせて戴きました。最初の数分はバイトでも何でもして、とっとと借金を返してしまえ、ということでした。自分で何かをはじめないと今までやって来た医療系のバイトでは年齢的に雇ってもらえない状況となっていましたので、弁当の宅配や介護初任者研修を受け、訪問介護、日勤、夜勤の介護の仕事など掛け持ちしてました。またあるサイトに家事代行としても登録しておいたのです。今となっては雇わられるのを一切辞めたら、家事代行の仕事が残りました。その当時の貴重な先生との面談では大半の時間、先生はずーと高麗さんのことをお話しくださったのです。「いだき」を始めた頃からその時までの高麗さんのことを。その間、先生のお話をお聞きしながら、ずっと泣いていました。今だからわかるのですが、その涙は魂でした。高麗さんといっしょに生きていきたいという本音は魂の悲願なのです。その魂を取り戻すべく、先生は面談の大半の時間を魂取り戻すことをしてくださっていたとわかります。
先日の8/20三鷹市公会堂でのコンサート前に、あるミーティングを高麗さんが開いてくださり参加させて戴きました。その際、わたしの状態は高麗さんにぶら下がっていることを高麗さんのお言葉から今度はちゃんと受け止めました。今までも言われていても認めたくなかったのです。受け止めると何とかしようと「ぶら下がり」という言葉がずっと頭から離れません。変わらなければ、いっしょに生きてることにはならないのです。どうしても変えたいのです。変わるにはいだきしん先生のコンサート、講座に身を運ぶことが1番の早道なのです。それはわかってもお金が…となります。でも、高麗さんといっしょに生きていきたい魂を実現するには、行動を変えるよりないのです。そして東北へ。つづく