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“自然な時間”


                                         “自然な時間”

6日の朝日新聞に山際寿一氏が寄稿されていて、人類が“自然の時”の 中で過ご してきたことを言い、「頼る」「迷惑をかける」「弱みを見せる」といった生産的でない時間を他者と共有することの必要を述べられていた。

 

去年の正月もそうだったが、今年もH氏の山小屋に招かれ、ストーブを囲んで、酒を酌み交わし、寝袋で一泊してきた。H氏は、同じ国語教師で山好きなことだけが一緒で、後は全くと言っていいほどわたしとは違う。先ずはリッチ!わたしより15歳も下なのに、夙川駅近くのお屋敷に住み、能勢の知に、山小屋まで作って悠々自適。不動産取引が一番やりたいことで、定年後の夢も膨らんでいる。そのかれが、金銭感覚が弱く、夢みたいなことばかり言う孤老のわたしを大切にしてくれる。反発し続けた父親にわたしが似ているから、とかれの夫人は言うが……。

「コスパ」と「データ」を考慮しないで勝手なことばかりいう人を、かれは唾棄する。ピケティ―の『21世紀の資本』を3回読んだそうな。資格もない女性事務員が英語の教師を目指して、いろいろな男性教員に言い寄り、血迷った熟年教員が起こしてしまった騒動を語り、「勉強はしたくない!」と言い張った、その事務員に憤慨する。そして、「やりたいこと」は趣味に、「できること」は仕事にすべきなのだという持論を得々と語り、ひとの性分や能力は変わらないのだ。それをごまかして、甘い言葉や出世欲で駆り立て、結局自己満足にしかならないことをやり続けている多くの人を非難してやまない。無知蒙昧の輩とは距離を置くべしと。

しかし、どんなに失敗を繰り返し、阿呆な行為を重ねても、やり直すことは可能ではないか。ひとは「変わる」ことが可能ではないか。そう、ある程度は自分のことを含めて、まるで他者のことのように反問してみる。「絶対ない!」H氏は断定する。無知蒙昧な大衆の中で、いかに賢く、いかに強く生きていくかが大事なことであって、「無知の知」など求むべきではないともいう。宗教はアヘン、極楽浄土はバーチャル・リアリティー、民主主義なんて机上の空論と言い切るのだ。(絶対専制主義をよしというのでももちろんないが……。)別の視点から、「原発再稼働は許せない!」とわたしが言うと、「そんなこと言って、電気代が跳ね上がっていいのですか!」と怒り出してしまった。「原発を廃炉にするのにも、今すぐ止めるわけにはいかないです。」と追い打ちをかける。

運命だって変えられる、ことを知っているわたしは、それでも「人は変われる!」という思いは揺るがない。学校や教育によって、それが可能かどうかは分からないが、氏素性や家柄、年齢、性別、民族は、決定要素にはならないと思う。ましてや、大企業とか有名大学とか、親の仕事とか、兵器の多寡、GDPの数値とかは、分りやすいけれど、判断の材料にはならないと思う。いつからでもリスタートできるのだ、というのがわたしの思い。

「ゼロ・ポイント・フィールド」のことを言い出した時には、かれはもう半分寝てしまっていた。最先端の物理学の知見によれば、「思い込み」や「概念」によらなければ、すべての「変容」は可能であり、「奇蹟」は起こりうるのだ。ただ、かれは、現実世界でうまくやれて、自分の見識の正しさを手放したくないだろう。しかし、かれは、山小屋での“自然の時間”が必要なことは分かっているのだろう。今年は、精進して、自分の変革と人の変容に貢献していきたいと思った。

能勢の山中で、今までに見たこともないような、強く美しい月に出会った!頑張れそうだ!

 

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