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2024年1月11日狛江「高句麗伝説」を迎えるにあたり


昨晩、大津を発ち無事に武蔵野の地に着きました。昨晩の琵琶湖は、透明で凛とした空間に月はなく湖上には一段と輝く星と湖面に映る街の灯が星々のように浮かび上がり、新しい宇宙が創出され、多くの魂が今日の「高句麗伝説」を待ち望んでいることを感じます。

昨年末から新年にかけての、京都、比叡山、琵琶湖でのご活動を通し、世界情勢、地球環境など、さらに目にはみえないけれど確実に動いているある何かを感じます。大晦日にいだきしん先生、高麗さんを囲み、いだきしん先生とスタッフの方たちと作ってくださいました「包摂」から脱却するお食事(まさか、これに小豆が。。。)を戴くことができ、そのとき小豆が自己主張の強い食材と知り、自分の状態も小豆のようなのだと先生の一言から知りました。年が明け元日には迎賓館のコンサートと新春講演会にて、とても貴重な経験をさせて戴きました。コンサート後半は、なぜかわかりませんが止めどく涙が流れ続けました。先生の「聖母」とされたイエス様の母、マリア様のことは、ただただ悲しいだけで本当のことをわかったわけではありませんでした。ユダの福音書、マリアの福音書など、以前いだきしん先生の講座でご紹介くださったものでしたので一読はしておりましたが、イエス・キリスト様のされようとしたこと、ましてや母親であるマリア様のことなど考えたことすらありませんでした。肝心なことに目を背け、そのことに真正面から向き合うこともせずに、愛とか平和とか言っても偽善であり、人間として自らの内に目を向け、事実をわかり認め、真っ当に生きるよりないときがすでにはじまったことを知りました。新春初の応用コースでは、生命の半分が女で、半分が男、それを統合していくとおっしゃられた先生のお言葉と、高麗さんの身の内に起こっていることを、「詩」という形で「魂が知る真」に表現してくださった衝撃は、本日の「高句麗伝説」という場が、どれほどの場であるか、またその場に身を運び、その場に身を置き、「ど真ん中」を経験するか、しないかとでは生死をわけるほどのことと感じます。聖母とされた母マリア様は2000年以上経った今、いだきしん先生とひとつになられ真を表されるのかと考えますが、単なる自分の稚拙な思いに過ぎず、実際の真は今日の高句麗伝説を生命をもって経験するよりありません。いづれにせよ、歴史的な貴重な場であることだけは確信しています。本日、参加させていただけますことが光栄なことであり、数々な恵みに与っているこの身を、高麗さんが表現される「高句麗」をつくるために生きて参ります。ありがとうございます。本日、よろしくお願い申し上げます。

 

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