2021.1.13 高句麗伝説
昨日、西武新宿駅から新宿文化センターに向かう道端、シャ花に木漏れ日がさして風にゆれていました。シャガは桜がはなひらく頃に一緒に咲き花なのに、サワサワとうれしそうに揺れていました。シャガの花が大好きだった母と歩いた春の道をおもいだし、母ともいっしょにいくのだなといそいそとむかいました。一席に座らせていただき、シンセの一瞬の音空間からあまりに壮大な空間にはいり、鳥肌と涙でいっぱいになりました。高麗恵子さんの詩が詠まれるたびに背中にザザッと鳥肌がたちました。好太王様のところのシルバーのB.saxと先生の息と高麗恵子さんの声と天のさらにさらに遥か彼方までも生命が通っていく大きな存在。あまりにすごかったです。馬にのって風をきって走っているように気持ちよかったとき、高句麗軍団の詩がよまれて、また驚きました。全ての楽器が、この日のために生まれてきて、先生とひとつに鳴っていく。あまりに、すごかったです。本来の楽器の響きも限界も越えてる音。先生と高麗さんに出会い、生まれていく未知なる可能性に驚くばかりです。世界中に散っていったフェニキアの詩の時、世界中にこの風が届いていることを感じ、わっと涙があふれました。なんでこんなにあふれるのかとおもいます。レバノンユネスコパレスでの高麗恵子さん心模様作品展の時に、「砂漠に咲く赤いバラ」のタペストリーの前で、ポタポタとみじろぎもせずに涙した女性のことも思い出しました。会場に立ちがったタペストリーも高麗恵子さんが選ばれたこの作品です。世界中の人にみてほしい気持ちです。待ってる人がいるから。
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