2月24日
「存在論」、「死について」に参加致しました。死霊のお話を再びされましたが、生霊を含め、とても厄介であると認識しております。特に自分に生霊がダブることがよくあると考えます。鏡の自分の顔が自分でない感覚はよくあり、二つの瞳を見入って自分を取り戻そうとしますが、うまくいったことはありません。相手が余程強いのかもしれません。死霊も生霊も人であります。これも人間理解なのかもしれないと考えます。しかし、鬱陶しく厄介に感じます。本日質問をさせて頂き、一体となった死霊の出所として出生場所を自ら申し上げましたが、自分のベースが日本ではないこと、自分と両親とは別のベースであったと新たなる発見であります。全く違う種のような感覚です。今までは、両親とベースは同じでそこから自分が造り上げなくてはならないと考えておりました。しかし、基が違うなら自分は全く違うものを作る人間だったのだと理解が変わったように感じます。昨日の応用コースで「自分のことだけで精一杯で生きるな」とのお言葉がズシリときました。自分に至るまでの大勢の方々の人生とこれからの方々の人生と、自分は報いなければ意味がないこと忘れたくないと感じております。これからは女性がもっと強くなっていけると信じておりますので、自分の望みは世界中の女性が目覚めることです。沢山の足かせ、辛い経験、傷など乗り越えてご自身の将来を輝かせて生きてほしいと心から願っておりますが、まず自分がその方たちと話ができるかと自分に問います。
ありがとうございます。
田嶋利江子