19日府中の森コンサート
第一部でのアナウンスでの、言葉は自分を「飾りたがる」傾向になる旨、全く自分はその通りと拝聴しました。そこから、様々な場面での自分の言葉の類を振り返り、些細な欲などなく表現するよう心しようと至ります。パイプオルガンが、ある時に、全世界、夜空の無数の星々にも響き渡り、新しい人類の時代「イダキ」の始まりのファンファーレのように聴こえ、「いよいよ」始まったと心に思われました。しかしながら、第一部が終わると脱力感が否めず、凄まじいエネルギーの渦中にあったのだとわかりました。ここまでの脱力感に自分の普段を想い、身体は聖なる経験を覚えているのに頭は世俗なことに、この頭の頑なさに我ながら呆れてしまいます。帰りの電車の窓からホームを眺めても、等身大の「勝手」と言う文字たちがホームで電車を待っているよう見えてしまいました。勝手が普通で常識なのだと改めて理解され、この中で育ち疎外していた自分を考えます。またその勝手に至る元の経験は何であるのかとも考えます。第二部のパイプオルガンに身を委ねながら、先生は神様もまたその全く逆の存在の凄まじいエネルギーをも表現されると考えると、この体力ではいけないと感じました。そこから、日常での習慣を改善するにはと、アントレプレヌールサロンでのお話を元に様々なことを考えます。明日のコンサートもどうぞよろしくお願い致します。
ありがとうございます。
田嶋利江子