12月6日
今朝たまたま見た番組が、レバノンにて避難生活をしているシリアの人々の現状ドキュメンタリーでした。情報としては知ってはいたものの、爆発事故があり、その追い打ちでコロナがあり、どんどんと生活は厳しくなって行く状況に画面を通して辛苦と憤りと絶望とが伝わってきました。応用コースで着席しても、ずっと頭を占め、始まってからもずっと考えてしまい、「何とかしてあげたい」と涙がこぼれる自分でありました。ある意味、封建的な在り方が変わる、過渡期の厳しさでもあるのかもわかりませんが、女性、少女たちにのしかかる苦労が背負いきれないほどで、何とか道を見いだせますようにと今は祈ることしかありません。3日のコンサートでも、会場で座っていながらも、足元が天井で、天井が床になったような逆さまな感覚で、落ちないようにシートベルトを思わず探してしまいそうになったほどで、地表までもが、くるりとひっくり返ったような感覚を経験しました。それほどに一気に天変地異がなされたと感じ、このコロナや色々な厳しい状況も変化の過程だとも考えられます。本日は応用コース、存在論と参加させて頂き、改めまして先生のされてきたことや、誕生されたことの重大さを考える時でありました。受け継いだのか、作ったのか、自分の中の闇の部分が顕著に表れ、引きずられながらも、何とか脱皮しようと前を向いて歩こうとしています。先日、ある方が、コンサートでの経験を忘れずにいるにはどうしたらいいのかと仰っていたことが頭に残っており、自分でも考えてみたところ、淀みなく動くことと至りました。ふと過去の経験を思い出したりする間もないくらいに淀みなく動きたいと感じております。
ありがとうございます。
田嶋利江子