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11月1日の高句麗伝説の日に、義父は命が助かりました


遡ること、1ヶ月半前の11月1日、ライブ配信された高句麗伝説を拝聴させていただいていました。
高句麗伝説が始まってから10分位が過ぎた頃、夫のスマホの電話に東京に住む義父(夫の父)から電話がありました。
電話に出ると、掛けてきたのは、義父ではなく、夫の実家近くに住む夫の従姉でした。
義父が 倒れて救急搬送される、、という連絡でした。

義父は数年前から体調を崩しがちで、貧血がちのため、今年の6月に検査をしたところ、骨髄異形成症候群という白血病に移行するちょっと手前の病気であることが判明しました。
退院後も、輸血が必要なため 2週間置きに通院していましたが、進行性の病のため、少しずつ、体力も低下していき、担当の医師からも電話で夫に病状説明や今後のことについて話も出ていた頃でした。
頑なに、人から手伝ってもらうことを拒否していた義父が この病が判明してからは、徐々に受け入れ、介護認定を受けて、ケアマネージャーさんにいろいろ調整をしていただいて、ヘルパーさんに介入していただいたりしながら、一人暮らしを続けていました。

11月1日は、16時過ぎに洗濯物を取り込もうとした時に、極度の貧血で倒れ、意識はありながらも床から身体を起こせず、スマホや固定電話にも手が届かず、自分はもうこれで終わりかとも思ったと言います。
身体は起こせなくても、手は動かせたため、いろんなところに手を伸ばしていたところ、たまたま、電話の子機に手が届き、自分で119番に電話ができました。
そして、救急隊が自宅近くで義父の家を探していた時に近所に住んでいる姪(夫の従姉)が救急車に気付き、救急隊と一緒に義父の元に駆けつけてくださり、夫に電話をくださったのが高句麗伝説が始まってすぐ位の時間でした。
救急搬送されて一命はとりとめ、急性期は脱し、体調は不安定ながらも少し、回復しました。
義父は、今まで、自分の家族に対して、特に女性に対しては、愛情をかけるよりも、怒ったり責めたりと、人を遠ざけるような言葉や態度をしてきたようで、妻(離婚)や娘はだいぶ前に家を出ていました。
私が夫と結婚して、いろいろ考えて同居しましたが、当時、夫、義父の他に義弟もいて、男性3人の中で暮らしていくのは、自分が思っていた以上にきつかったんだと思います。
仕事のことで体調を崩したかと当時は、思っていましたが、振り返ると、女性が逃げ出したくなるようななにかがあったのかもしれないとも思います。
私は当時、うつ病と診断され、仕事も休職しました。
その少し後に いだき講座を受講し、講座が始まる前に記入する用紙に、「男性3人と暮らしていくのはなんだか辛い」と書いたら、いだき先生が「あなたは、がんばってるね」と一言、声を掛けてくださいました。
私は、この言葉を言ってもらいたかったんだ、、と涙が出たのを今でも思い出します。
その後に、夫も いだき講座を受講し、いだき先生との面談から3つの言葉を言っていただき、引き寄せられるように熱海に移住、起業しました。
そのため、義父との同居はそこで終わりましたが、先週から療養型の病院に入院していた闘病中の義父を熱海の自宅に迎え入れ、再び同居し、今回は、介護が必要な状況なため、かなりバタバタした毎日を過ごしていました。

11月1日に助けられた命。
きっと義父には まだこの世に生まれてきた最期の課題があるのではないか、、と思います。
そして、私と夫にも義父の介護を通して、学びがたくさんあるかと思います。
仕事をしながら介護をする。
私が看護師、夫は2年前に介護福祉士の資格を取得しましたが、家族の介護は初めてです。
一日の大半は事務所で仕事をしているので、車椅子が必要な義父も私達と一緒に朝は車に乗って事務所に行き、夕方、帰るまで事務所で過ごしてもらい、また自宅に帰る。
子どもを職場に連れていく、、というのはあっても親を職場に連れていくというのは、あまりないかも、、。だったら介護しながら仕事をする方々の新しい働き方になるかもしれない、、とも思っています。

長くなりましたが、11月1日に助けていただいた義父の命。
義父が余生を幸せに穏やかに過ごせるように夫と協力しながらやっていこうと思います。

ありがとうございます。



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