1音の響き いのちの音
3月2日、三鷹公会堂光のホールでのコンサートに参加叶い、今までにない深い経験をさせて戴き真にありがとうございます。昨夕には無事に帰宅でき、母も元気にコンサートに参加できロングドライブを楽しむことができ心より感謝申し上げます。「今から、これから」で生きる毎日を心がけて参ります。コンサート翌日、帰路の車中では昨年12/24の京都コンサートホールでの演奏をお聴きしながら、別世界の中を移動して来ました。空や雲、遠くの山並み、自然は先生の音とひとつであることに、今更ながら驚きます。人間も自然とひとつに生きれることを三鷹公会堂でのコンサートで経験させて戴きました。一音、一音が深く深く内面奥深くに入ってくると、何の汚れもない元々の生命に触れ、言い知れぬ静かな感動に全身涙します。人間の生命を慈しむ一音一音は、先生の生命を使って紡ぎ出されていることを経験します。この生命、魂を汚してはいけない、元気が出る生命で先生にお会いしないと…と深く感謝して第一部が終わりました。
いだき発祥の地ということもあり、高麗さんのご先祖様が代々生きて来られた地ということもあり、アンコールでの一音一音は国つくりの槌音の様に体の奥に入ってきて、明らかに高麗さんとともに「高麗」の精神を表わす国をつくっていきたく、今から、これからつくっていく原動力になっています。
昨日のビデオ講演会をお聴きして、高麗さんが「宗教」を担当された理由が、かつての体験からわかってきました。高麗さんが京都に拠点をつくられた時、自分は「鍼灸整骨院」を担当して、その協会の京都の長である方と「高句麗伝説」のお誘いでアポを取りお会いしました。お会いした瞬間、何故かお腹の辺りが不安で、思わずテーブルに高麗恵子さんの著書「本音で生きて下さい」を置きながらお話させて戴きましたが、参加を即決とはならず、後日、ある巡りから、高麗さんにご同行戴き、ほぼ飛び込み訪問の様な形でしたが再びお目にかからせて戴きました。実はその方はある宗教の幹部的な存在であったのです。高麗さんが真正面に座られ、その方にお話になる時の一言一言の言葉の深い響きは、相手の方の霊魂、魂に届く鋭く強い言葉の威力を感じました。肚が座っていない、精神がしっかり立っていない自分では、とても太刀打ちできるお方ではないことを思い知りました。結果、その方は高句麗伝説にご参加下さいました。この経験は大変貴重でありました。岩手県で動員活動している時も、別々の方ですが、それぞれ別の宗教活動されていて、職業は牛乳販売店経営者や子供たちのことを中心とした地域活動しているリーダーであったりと、一見宗教とは関係ないと思い、お会いしてみると、こちらが余程しっかりと「いだき」をわかり、精神立ち生きていないと、簡単に持っていかれる経験をしました。その様な時、高麗さんの活動される真をわかることがとても重要であり、生意気な言い方で申し訳ありませんが、高麗さんの資質とわかるのです。揺るがぬ精神強くなければ助けられないと思い知ります。人に会ってはまっている様では動員できません。明日は、ボランティアミーティング、ビデオ講演会、新たなるスタートのアントレプレヌールサロンがあり、心して参加させて戴きます。ありがとうございます。