78歳
思い切って、自動車免許の更新に行く。4/7で満78歳になるので、更新時期になっていたのだ。普段から「年齢なんか関係ない!」と言い、“余生”とか“老後”とかいう言葉を唾棄しているが、これだけはどうしようもない。前から何回も「講習」を受けていたので、手続きはスムーズに行き、30分足らずで新しい免許書を手にすることができた。ちょっと引っ掛かったのが「視力測定」で、「眼鏡をお持ちなら、不安な時は眼鏡をかけるように」と言われた。この視力が不思議なのは、65歳くらいまでは、近視と乱視の眼鏡をかけていたし、、免許書にも「眼鏡あり」と記載されていた。それが、ある人から、「なるべく眼鏡に頼らない方がいいよ。」と言われ、眼鏡なしの生活を始めたのであった。自家用もなくなり、困るのは学校で授業するときぐらいだったが、しいて後ろの生徒の顔を見ることもあるまいと開き直って、眼鏡を掛けないでいたら、なんと視力がしたの回復したのしたのである!いつぞやの更新のときから、「視力がありますから眼鏡は不要です。」と言われ、例の記載も消えてしまった。山歩きに励み遠くを眺め、風呂に入ったら首のマッサージを続けていたら、視力がよくなったのだ!しかし、先日の「高齢者講習」のときも、なんとか合格していた。「高齢とともに視力も弱り、記憶も定かでなくなる。」――一般常識にとらわれないのは楽しい。
今頃になって、読んでない古典多いことに、「資本論」や「存在と時間」などちっとも読み切れていない本の多さに、また、大したこともあるまいと無視していた本の多さに気になることが多い。その一つが、『七つの習慣』であり、橋爪大三郎の『ふしぎな社会』である。また、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』だ。後者は悪戦苦闘中だが、前者などは、読んでいるうちにまるで高校生のような気持で、勉強の大切さと知識の必要に目覚めている次第。“五十の手習い”どころか、ファーブルのような気分で、焦るような思いで毎日過ごしている。視力と同じように、知力も蘇ることを信じて。