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“鹿電車”に乗った!


学校の3学期が始まった。帰途、上本町から電車に乗ろうとすると、なんと鹿電車がやってきた。奈良公園の宣伝なんだろう、全車両ラッピングされ、車内にも大きな鹿が描かれ、吊革にも鹿がついている。4年前の遭難野営の朝、鹿が円陣を汲んでわたしを見つめているのに驚いてから、鹿が神の使いえのように思えてならない。今年は縁起がいいのかも!

「えたいの知れない不安な塊が私の心を始終抑えつけていた。」で始まる梶井基次郎の『檸檬』を、(教科の会議で)高校二年生に教えることになった。ずっと教科書の定番になっている子の作品を、わたしはあまり認めない。散文詩と言うならまだしも、小説としては、あまりにも象徴的で、散文の醍醐味がないからだが、(その意味では、いま読んでいる『ゴリオ爺さん』は、その描写に舌を巻く。)この「えたいの知れない不安な塊」には魅かれる。生徒たちが、この病苦でも貧困でもない「不安な塊」と向かい合う機会になるのならいいかと思った。「不安」ではなく、実在としての「塊」に出会ってほしいが……。

『檸檬』の発表された1925年から今年で98年、マルクスの『資本論』1867年から156年、資本主義はいよいよ限界に近づき、地球環境は危機的状況に、格差と貧困、少子高齢化とインフレ、そして長引くコロナ禍と、世の中は「不安」なことばかりである。戎神社にすごい人がお参りしているのを目の当たりにしながら、そんなことで「福」を得られるものかと思ってしまう。そして、高校生たちの未来は暗い。デジタル・スキルが、もう一つの道を示してくれるが、そこへ行き着くまでに「塊」を失ってしまっては何にもならない。

「いま思っている不安はなに?」という発問から授業を始めようかと考えている。勿論、受験や進路のことがすぐに挙がるだろうが、ひとりでも「えたいの知れない不安」に気づけばいい。檸檬を握っても、気持ちは楽にならないかもしれないが、なにか「別の光」に出会えればいいのだ。

 

※わたしは「金欠病」で悩んでいる。現金不足で困って、どうしても「金」に頼って、「金さえあれば」と思ってしまう。しかし、この思考法が間違っている。「金」があろうがなかろうが、真っ当に生きていかねばならない。だから、物質主義や拝金主義を乗り越えて、それでいて、空理空論や幻想ではなく、金銭感覚が全うな生き方を全うしたいもの。明日からの「高句麗伝説」で、そのための「力」と「魂」を養いたい!(1/10)

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