魂
子供の頃から“ふつう”のことがつまらなくて合わせることが苦痛だったのに、いざ魂覚醒し神話をあらわすように生きれる時が来ましたよとお膳立てまでしていただいたらほんの少しズレて寂しく見ている。このズレは宇宙の法やリズムから完全に外れていると気が付きます。正に命取りであり足がすくみます。
最高の一日は、熊野詣でに象徴される「御利益」そのものでした。あるがままを知れる機会こそ真であり感謝よりありません。一日の全てが、まるでおおいなるはたらきが真を教えるように、教えるように些細なことまでも現象として表れてくれています。こと仕事で言えば色分けで見えてくるほど明確で恐ろしいほどです。相手にしなければいいだけなのに何故わかってもらおうとするのか、、、。と、ここまで書かせていただくと正に世俗だからとわかり、益々恥ずかしくなり笑えるのでした。
魂あらわすとは、気持ちあらわすことでした。魂在る人々と、魂覚醒する場を伝え、広げていくこと。そこへ日常のすべてを焦点合わせば済むことです。潔い精神学び、養い、くすぶった霊魂にひっぱられることなく真貫く魂のみで生きるべき時であります。
「高麗ギャラリーカフェ」を後にするとき高麗恵子さんと交わした笑顔が懐かしくて、未来で、真の自分が生きていきたい世界、風、香りが一瞬にして心を満たしました。新しい動き方がとても楽しいです。本日も、よろしくお願いいたします。