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 もしも鏡を見て、口のまわりにご飯粒がついていたら、気づいてとることができる。生き方が点検できるような鏡はないものかと考えていました。まずは人間魚拓。例えば、縦10メートル横10メートルの紙を用意して、裸の自分の表側と裏側全体に墨をぬる。そしてその紙にべたっとやれば、自分の表側と裏側がそこにプロットできる。他には、誰かに24時間私を撮影してもらう方法。寝ているときも。このビデオを見れば、私の微妙なところも気がつくのではないかと思った。両方とも実践はしていない。今は、書くことによって自身をとらまえるということをしている。10代の中頃、書くということで見えてくることがあるのではないか、このことを将来の自分に残す、とノートの最初に書いてしばらくいろんなことを書いていた記憶がある。しかしその後、書くことも、中心や視点がぶれていると、あんまり意味のないものになるのではないかと心配をしてやっていなかった。今は、あの時の自分に、感じていたことは、間違いではなかったと、言ってやりたい感じがする。

 からだがあり頭があるが、頭は意識が支配しているのでからだのメッセージをおろそかにしているように思う。からだの反応からものをとらえたほうが、ずれが少ないようにも感じる。

 この他に最近感じることは、魂の存在です。昨年、会社の仕事の関係で10月に毛越寺、11月に大國魂神社に行きました。どちらの写真も、私の写真だけには、本堂や本殿で撮影したものには、いくつも白い色をした綿のようなもの、それにしっぽがついている魂のようなもの、赤と青の光が対であるものなどが多数写っておりました。片方はお寺、もう片方は神社。神と仏の世界です。私の母方の祖父と曽祖父は空海を継いだ人。一昨年夏にたまたま実家の大掃除をしていてお稲荷さんを掃除していたら、私の苗字が書いてある稲荷でした。つまり、母方は仏、父方は神、の流れが融合したところに、私がいる感じです。私は、このようにイメージをしています。からだがあり、あたまがついていて人がいる。その人の意識を超えた、たとえば、あたまの上に魂がある。この魂は、人間本体、つまり、からだとあたまを助けてくれるところに、からだとあたまを誘導していく。魂は、魂をわかる人、もしくは、魂を受け容れてくれる人のところにあらわれるのではないでしょうか。魂は、お金や時間という尺度ではなく、時空を超えて存在するものと思われます。

 平成30年の3月にその女性のお客さんはやってきました。なぜか、多く職員がいるところをわざと避けて一番奥にいる私のところにやってきました。その動きがいびつでしたので、正直、私は、発見されたと感じました。話を聞くと、通常の職員では、対応が難しいと感じる方でした。その日は、忙しかったので、改めて何度かお会いしました。かいあって、完璧にご自身でできるようなところまでになりました。私から手が離れるようにしたかったからです。その女性のお客さんはかつて大病をしていました。まだまだいろんな意味で不安定なのは感じました。毎回母親とともにお越しになり、完璧に自分でできるようになったその時は、母親とともに私に、ぜひ担当になってください、と拝むようにお願いされました。仕方なく、担当をすることとなりました。
 毎回、その女性のお客様がお越しになると、私は、やるべき業務はもちろんのこと、からだを張って、状態をきれいにしてお帰りになるよう心がけていました。例えば、その女性は、あいつを殺したいの・・・、といいます。私は、そうなんですか、と返事をします。殺すのですか・・・、でもなんで殺したいのですか?と聞きます。その女性は、実はこういうことで・・・と答えます。私は、それを書き出してみます、そしてその女性に書き出したものを見せて、本当に殺せば済むのですか?と聞きます。そうすると、その女性は、実は問題は別のところにあり、加えて、今後どう行動すればいいのかはっきりわかるのです。その女性は、この場、お徳・・・、絶対担当変わらないでね、といいます。
 私は、その女性がわざわざ私をめがけてきているので、今は小出しにしているけれども、そのうち本当の意味でまるごと命を助けてくれと、つまり根本解決してくれと言ってくる日が近いと感じていました。そんなことを悩みながら、寝ると、夢の中で高麗さんが、渾身の力をふりしぼって、引くな・・・、と必死に私にメッセージを送ってくださったことが2度ほどありました。その時感じていたことは、その女性はご自身の魂の導きで、本人の意識とは別に、私のもとにきているのではないかということ。そして、そうであるならば、命にかかわることなので取り返しがつかなくなった時ではどうにもならないこと、もしも私のとらえかたが違っていて何かあったとしても始末書を書けばいいくらいのことだろうから、とそこまでイメージし、心の準備だけはしていました。
 やはりとうとう11月頃にその日がやってきました。その日その女性は、待合室でたまたま私をみつけ、すぐにこういいます、私が教えている子供がかたくてなかなか私のいうことが通じないの、どうしたらいいのですか?と聞きます。私は、あなたがかたいから、子供もそう反応するので、あなたがやわらかくなればいいのではないでしょうか・・・、54万円払って研修すればそれは可能になるよ、と言い終わる前に、いくいく、と返事があり、こちらは驚きました。どうすればいいのか、ということになり、私も妻や子供もいますのでといい、会社とは別のことであるという意味合いで、会社の建物の外に出て電話で問合わせをすると受付が可能な状態でしたので、その場でその女性は即決し申込をなさいました。ですが、その後、その日の夕方に、その女性は、ホームページをみたらいやになってキャンセルしたとのことでした。私は、魂が望んでいるのに、意識がじゃまをしているのではないかと思い、2度ほど、本当にお断りしてもいいのですか、というようなメッセージをその女性に送りましたが、きちんとした返事をいただけませんでした。
 翌年の1月4日に役員室に呼ばれました。私は、冒頭、何か問題があったなら最初に自分の上司が尋ねてくるならわかるが、いきなり最終決裁権者に呼ばれるのはおかしいのではないかといいましたが、事実確認だけと言われ、上司が述べたことすべてに、正直にはいと答えました。その女性は、私の上司と知り合いのようで、年末に、私の上司に何か話をしたようでした。その後、4月頭に役員室に呼ばれ、処分が出され、始末書を出すよう求められました。私は、ユニオンとやりとりしますので、というと、では、ゴールデンウイーク前までに返事をくれということになった、もしもゴールデンウイーク前までに返事ができない場合は、その時にもう少し時間がかかる旨を伝えてほしいと言われた。私は、ユニオンと協議したが、ユニオンは制度が会社に有利にできているので長いものにはまかれたほうがいいのではないかという感じであった。私は、お客さんは何がクレームで会社がどう損害を受けたのか教えてもらえず、上司の注意やアドバイスなどもなかったことに疑問をもっていた。結局、始末書をどう書けばいいか不明のまま、ゴールデンウイーク前になったので、少し返事を延長させてくださいといいに行くと、幹部は、処分が決まっているのにこれをさらに延長をすると追加の制裁をすることになったと言った。私は、約束が違うといったが、ならばせめてお客さんは何がクレームで会社にどういう損害があったのか教えて下さらないと始末書も書けませんといった。幹部は、以前言ったことと変わりはない、と答えるだけであった。結局ゴールデンウイークあけに始末書を提出した。
 いまの弁護士は、懲戒が社会通念上相当でなければ権利の乱用であるとの見解を示している。そもそもお客様のご不満は何かまた会社の損失も不明、事前や事が起こってからの段階で、上司の部下に対するアドバイスやケアがあったわけでもない、弁明の機会もない、加えて追加制裁をもって脅しをかけているので、私はこのところ、きちんとけじめをつけたほうがいいのではないかと考えている。過去においても、私が出してもいない手紙の件で、最初からトップに私は懲戒解雇と言われ、後から筆跡鑑定をして証拠づくりをされるなど不可解なことがあったし、今後も予想されるからです。
 これは全く私の感じではありますが、私の過去の経験をふまえると、申し込んだ時点から及んでいるので、その女性は本当に命を助けてもらったと感じている。目的は達成しているのである。根本解決というところまではいかないにしても。

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