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魂 報われる日々


昨日 盛岡の活動に参加叶い、東北センターでの高麗さん 「本音で生きて下さい」 講演会の合間と後、二度も 「麗花6」 の詩をお聴きできるとは…。遠出をした後で 思いがけず東北の贈り物をいただいたような、不思議な喜びが胸に広がりました。高麗さんと克哲さんの御計らいに感謝いっぱいです。ありがとうございます。
高麗さんは上映前に、これは いだきしん先生と出会う以前 15~19歳の時の詩ですから、と 初めての方もいらしたので何度も仰り… 自分は過去幾度となく拝聴してきましたが、目の前にいる方の10代の時の表現を伺えることに 得も言えぬ感慨を覚えていました。映像にはその頃の高麗さんの後ろ姿の御写真が映し出され 御本人から そこは中尊寺であったと伺い、岩手の地で聴く詩の数々が、重い心象を表すものでありながら この日 瑞々しく響く理由がわかり感動しました。
最後、ごめんなさい…で始まる詩、そして高麗さん御自身の語り『歴史の長い家に生まれ…』へと移行するエピローグ…。
自分の20代の頃まで、若いうちに嫁入りをし家庭に入るのは 世の大方の女性のスタンダードでした。嫁入り道具を揃え、娘の嫁ぐ日を心待ちにするお母さんに ごめんなさい、本来の人間の姿で生きます。と告げ 世界に羽ばたいていくのです、と正に今を予言する言葉を表す 19歳の高麗さん。この表現から 女性の生き方が変わり 世界中の女性達の新たな転換点になったのだ、と 改め聴いた昨日 はっきり判り、自分は驚き涙に震えました。
「ごめんなさい」…。この詩は 自分にとって涙なくしては聴けない作品でした。母が亡くなった時、母の寝室から 自分のスナップ写真の焼増しを大量に見つけ、明らかに見合い写真にするつもりで残していたものだとわかり、それ以来、20才で見合いの打診を強固に断ったことを ずっと負い目に感じていたのです。この詩を初めて聴いた時 母はまだ存命中でした。ですが 亡くなった後で再聴した時、高麗さんの御母様へのお気持ちが胸に迫り、重ねて 母の寝室の引出しのスナップ写真が浮かび、ごめんなさい…という心情と共に、自分も 母の望んだ生き方ではなく こう生きるよりなかった、と 心の奥底にしまっていた負い目が報われ、初めて女性である自らを肯定する気持ちになれたのです。高麗さんの表現を伺うことによって。
先日の、京都での いだきしん先生 「死について」 の講座では、二年前の 叔母の臨終の際から ずっと燻っていた 叔母への負い目が、先生に促していただいて 発言できたことにより、亡き叔母も自分も報われたことがわかりました。先生は、自分の発言後『亡くなった人の死を悔いるのは 生きている人間の持つ特権のようなものだから。ただ、そのままでは(亡くなった人の)行き場がない』旨の御言葉を話され、この時 自分は はっとし、どのような状況があったとしても、自分を含む誰をも責めたり悔いたりすることは間違いであることに気付きました。そして昨日、高麗さんの19歳の御言葉からも 心 綺麗にして未来へ臨むことの必然を学び、昨日を以て 身内の死が自分に与えてくれた全てを受け容れることができました。いだきしん先生に開けていただいた心奥の扉を閉ざすことなく、何があろうと今 繋がる魂共に未来へ向かっていきます。真の尊い日々を、ありがとうございます。
岩村ゆかり

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