魂の在り処
12月20日の琵琶湖までの予定を終えたら、何かリミッターが壊れたように感じる。どうやってこのスケジュールを越えよう、超えた時に私の心身はどうなっているのかな、とまで案じていたのに、琵琶湖からの帰りの車の中では元気がありあまっていた。限界って何だっけと考えても、もう思い出せない…。
12月の初めの頃には1回の催しに行く道のりがとてもとても遠くて、ただの距離だけではない遠さに打ちひしがれていた。『出会いの一日』で「夢のまた夢の…」と聞くたびに本当に眠りこけそうになる。ある時、私は本当にこれはまだ夢の中にいるんだと思って、ずっと眠っているのかもしれないと気付いた。長い歴史の間の終わらない悪い夢が長すぎて、今この時代になってもまだこれは夢のように感じているものが、私のどこかにはある。これは大変なことだと発見する。もう悪夢は終わっていますよ!!と、私はそのどこかに向かって呼びかけていた。
『精神の源を辿る旅』上映会では、本当に当時の会場ラフォーレにいるように錯覚してしまいそうになる。『高句麗伝説』上映会でも、その当時の記憶はほとんどないはずなのに、音と詩が聞こえると、時空を超えて10歳くらいの自分と再会したような経験をする。そうだった!と嬉しくなっていると、体が炎のように燃えはじめた。全ての感情と気持ちをあふれ出すのを止めないでいると、身体中が炎のように燃えていて、それでも燃え尽きないこの体は、生きて生まれ変わったようだった。その瞬間、どこかの檻の中から羽ばたいて出てゆけたのです。檻の中で鎖まであったとは想像もしたことがないけれど、出た瞬間に知ったのです。
北京の『高句麗伝説』の現地の方の演奏を聞いていると、何故だかそれもいったん鎮火しそうになりましたが、大丈夫でした。先生の音と高麗さんの詩は、他の音とは全然違うのだと知りました。
それなのに琵琶湖の『魂の語り』の始まりから悪寒がして足元から寒かったのです。
今まで琵琶湖であまり感じたことのない肌寒い何かを垣間見ました。
琵琶湖の『出会いの一日』まで経験できました全てに感謝しています。