KEIKO KOMA Webサロン

魂の在り処


京都コンサートホールでの先生のコンサートが終わった後のロビーは大きく時代が変わった只中に生きる生命の躍動、活気に満ちていました。私の生命も時代の大きな変わり目に居合わせた体感があり、帰宅後は大仕事をした後のような状態となっています。心の中では大変な経験であったと何度もつぶやいているのです。その大変な経験をここにどのように表現できるかと考え、書き込みをはじめさせていただきます。まずはコンサートメッセージを掲載させていただきます。

第一部「産霊」

「「むす」は生み出すとか自然に発生するといった意味があります。「ひ」は霊妙な神秘的なはたらきのことを云います。新たに何かを生み出したり、創造するもとになる「ちから」は神霊のはたらきを無視しては成り立ちません。我々一人一人に許されている「自由」なこととして理解できることです。「自由」なくして創造も愛もありません。やまとの神々はやさしいのです。」

第2部「魂の成長なくして」

「すべての魂は、あえて霊的といいますが、霊的な光の存在であるのです。光を失った魂は身体内で活力を失い、身体は病気がちになり、未来創造など夢にも見れません。創造のもとは宇宙にありこの宇宙から差し込む光が各々の魂とつながり多様なはたらきをします。唯ひとつの聖なる原理が独自かつ多様な生を生きます。この原理が愛の素晴らしさを人生のあらゆる場面で堪能でき未来創造に寄与します。」

パイプオルガンの演奏からは常にはたらき続けてくださる神のおはたらきを見ました。神が臨在する場に身を置かせていただき、浮き出てくる自分の歪みやおかしさをそのまま受け止め、考えました。昨日の存在論にてお聞きしました、過去を断ち切るのではなく、過去は今に融合し、到来へと向かう現存在の時間のあり方の理解が深まりました。また、最近のコンサートでは日本の神々を正確に表現してくださり、私たちは真の神に出会え、頭も体もすっきりとし、物事が理解できる状態を取り戻しています。そのことの意味が今日の経験をもってより理解できたのです。過去が隠されていたり、ごまかされていると、過去は断ち切られたようになっていることを自覚しました。神と分断されたと等しいこととわかりました。神と分断されては人間ではなくなってしまいます。演奏から常にはたらき続けてくださり、ちからを与え続けてくださる神とつながらずに生きることは人間の生き方ではないとはよくわかります。どこまでもやさしく美しい音から、生命の内に流れる清き川が見え、水のように透明で澄んだ魂を感じる時、メッセージに書かれていました「創造のもとは宇宙にあり、この宇宙から差し込む光が各々の魂とつながり、多様なはたらきをします。唯ひとつの聖なる原理が独自かつ多様な生を生きます」を生命でわかるのです。それ以外は、魂でもなく、余計な思いであるのだと見えるようにわかりました。宇宙から差し込む光がつながる清い光が魂であるとよくわかりました。最近の先生のコンサートで気づくことは神と共に生きていた時を消されたか忘れたという感覚です。時間が切断されてしまったようで、人間としたら、最も大事なことが欠落している状態と感じます。人間であることを忘れるようになってしまっています。今日のコンサートでも切断されたところが見え、悲しみの涙が流れ、宇宙からの光により、愛と生まれ変わる経験をさせていただきました。胸打ち震え、涙よりない経験です。深い感動と感謝に包まれ、生きていることの感謝よりありません。どのような過去があったとしても、今ここに身を置いているということは人間としもっとも大切な聖なるちから、存在と出会い、生まれ変わることができる喜びが生まれます。2部では、悲しくて涙こみ上げることが多かったです。が、悲しいと感じることは意識が真逆であると見えた瞬間、笑うよりなくなりました。自分ではいつも真逆に捉える意識があることを自覚していました。人に否定される前に自分で自分を否定し、抑え込んでしまえばいいと、かなり子供の頃に意識的に自分を押さえ込んだのだと気づき始めました。おそらく、目に見えない世界が見える感覚を押さえ込んだと感じています。一瞬とて、神があらわれない時がない先生の演奏をそのままお聴きできれば喜びよりないのに、辛くなったり、悲しくなるのは、逆さの意識故とも見せていただきました。今日も「今日で終わり。やめる」と決めるだけで変われる希望がありました。最近のコンサートでは、今までであれば気づきもせずに当たり前のようになっていた感覚や意識が、おかしいことに気づかされます。今日は、魂の在り処がわかり、真の中心がわかりました。自分自身の経験をもって神を忘れ、魂失った日本の危機を甚く感じました。先生のコンサートによって真の中心を取り戻し、魂取り戻していけますことは日本の危機を乗り越えていけると真の希望を抱くことができ、救われる思いです。

今日の高麗屋で淹れさせれいただきました「幻のコグリョカフェ」は、秋の味わいでした。いつもはじまる前にスタッフに淹れさせていただき、皆で飲んでからスタートします。夏の暑い日が多かったので、今まではいただくとスカッとさわやかとなり、内から一気に力が湧いて、自然と出発という気持ちになり、立ち上がり動き始め、短い時間ですが、ノンストップで動き続けられることがありがたいと感謝しています。今日は、いつものように外へ向かう力ではなく、内へと深く味もエネルギーも浸透し、とても豊かな味わいでした。様々な自然の生物がそれぞれの豊かさを表している味でした。内面が豊かな香りと味で満たされ、内面が充電されたようになり、とても豊かな心ではたらけました。コーヒーを淹れると、詩が生まれます。詩が生まれるコーヒーは美味しいのです。そして詩が生まれる人生は素敵です。内面の状態を見て、限界や曇りを言葉にあらわすことは、労力を使いますが、美しい内面を詩にあらわすことは、楽しく幸せです。詩が生まれる人生を生きていきたいと望みました。ふと「高句麗伝説」にて詩に詠ませていただく高句麗王の人生は人としての人生であったのだと気づき、ほっとしました。コーヒーによっても季節の味わいを楽しむことができる人生は豊かです。コンサートにて分断された歴史をわかり、過去は今に融合し、生きる力となり、愛が生まれることを経験できますことはどのような言葉によっても表現し尽くせぬ恵であります。清き魂を取り戻すことができましたどこまでも澄んだやさしいピアノの音が生命の内でずっと鳴っています。パイプオルガンの演奏は神とひとつであることが人間であることを一寸の隙もなく表していただき、受け容れるよりない状態を経験させていただきました。人間であればどなた様も先生の演奏をお聴き、人間になっていくと見える瞬間がありました。これからもコンサートを大切に開催させていただき、この尊いことを表現し続けていきたい気持ちが湧いてきます。ありがとうございます。

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盛岡にて
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仙台高麗屋にて
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府中の森芸術劇場どりーむホールにて