魂に憧れる
今の日本人の、前頭葉を使って頭頂葉が使われない頭の御話を いだきしん先生から伺って、だからだったのか と想い出すこと多々あり 耳が痛く恥ずかしい、そして今以て日本人の元にある魂を愛おしいと感じました。自分は子供の頃から米英の文化の影響をたくさん受けてきました。叔父叔母が米文学の研究者で、米文学が日本文学に勝るような空気の中 それに小学生から被れ、伴って音楽も映画も 米英の作品を多く鑑賞し、叔母の書庫にあった植草甚一の著書が師のような存在でした。いだきしん先生から長く日本人古来の魂の御話を伺い、本来の日本人の在るべき考えや他国に無い特徴、生き方を知り、やっと日本人であることを自覚肯定し生きられることに 感謝よりありません。いだきしん先生から伺わなかったら今も真が判らないまま、後に GHQの下した政策も何も知ってしまったのに、米文化との身体に染みた関わりを否定も肯定もできず砂上にいたと想像します。こうしていても 自分を裁く前頭葉で書いているのか?と実のところ教えていただいた全ては解っていません。本日の、高麗様の御言葉をいただくのを望み仙台コンサートに参加し、自分と向き合います。吉川英治に憧れて、経堂にあった息子さんの経営していた書店・レイクヨシカワに高校時代 通っていました。先生の御声で御名前を聴いて、言葉と話の展開に憧れていたのは日本人の本来の魂だったのか、と感じ入りました。幾日も豊かな時を、本当にありがとうございます。
岩村ゆかり