KEIKO KOMA Webサロン

高麗人で生きていいならば。。。


「みんな高句麗一族になれば話は早い」とのアントレプレヌールサロンでのお声がけにより、高麗人で生きていいのなら、私にとっても真に話は早いのです。見えたままを受け入れ、実現に向かい何をしていくかを考える上で迷いはありません。人の表現も図形で見えますので、後退する表現を黙って聞いていることもないのです。先に行くために考え、動いていけます。自然と潔くなり、余計なことに関わっている間もなくなりました。車を運転しながらの体感は余計なことはない生命は軽く、生命の内に風が吹き、空間とひとつであるので、自由です。昨夜も自分の生命を感じ、目を閉じ、見えるがままを言葉にし、何を改善すべきか、何をすべきかを書きだし、言葉によるコーチングをしました。今までのような見えていることを疑う等は愚の骨頂であり、話にならないことであることが明らかにわかります。おかしいと感じていながら何も言わないのも、体に曇りが溜まっていきます。やるべきことをやらないことは体に荷物を背負っているのです。常に表現すべきことはし、やることはやりきり、せめて何も溜めずに生きることが最低条件とわかります。生命の内では12月11日の新宿文化センターでのコンサートをお伝えし続けることが何も体に溜めることなく生きることと明確に見えました。人類も世界も危機にあり、このままいけば滅んでしまう今までの人類史にない時代を生きています。アントレプレヌールサロンにて、アントレプレナーとし生きることがこれからの時代を生きる生き方とお話しいただき、改めて先生の生き方からアントレプレナーとは。。。をお聞きしました。同時に高句麗建国の王、朱蒙様の生き方もお話しいただきました。アントレプレナーとなりこの時代を切り拓き生きることが生き延びる生き方です。アントレプレナーになれば今の100倍稼げるとのお話は目が覚めました。私も100倍稼げる希望を抱きましたが、雇われで生きていることがいかに生命の危機にあるかが見えるようにわかりました。自分の給料分を稼げているかを考えることは、最近の講座にて何度かお話いただいてきました。職場にきているだけでは自分の給料も稼げていないこと、給料の3倍は利益を上げないと働いていることにはならず、いるだけ邪魔となっているとのお話がそのまま見え、わかりました。その時間、拘束されていることで時給でお金をいただいていることや、会社に来ているだけで働いていると思い、給料分も稼げないようでは茹でガエルと同じで死にゆくように生きているということが見えたのです。この世では、毎月お給料をいただけることで生活していけますので、安定しているように思いがちです。が、その安定は死にゆく方に向かっているとは誰が気づいていることでしょう。気づけばアントレプレナーとなるより生きる道なし、と目が覚める思いでした。私は起業しましたので、元気で人間とは何かをわかり生きていけますことがどれだけ恵まれ、ありがたいことかと心より感謝します。先生もお話くださいましたが、母からも始めたことはやめてはいけないと言われています。途中でやめたらやっぱり変わり者だったで終わってしまうと母は言いました。子供の頃から変わり者と思われてきましたが、今この時になれば、社会の方がおかしかったのです。これからは何もかも明らかとなりますので、真か否かはそのまま現れます。高麗人で生きていいならば。。。と心の中でつぶやき過ごした今日は、今まで当たり前と思いやってきたことや世間では人が良いと思われるようなことがいかに悪魔的であり、悪いことかと見える瞬間がありました。この世は人間とし生きていけない反生命的であり非人間的な在り方とあるがままが見えました。が、全てはひっくり返ったのです。作り物は崩壊し、隠され、葬られてきた真が表に現れています。時間の問題で、真の時代となると見えました。早めていく為にも本音、真を表現していくことが何より大事と考えます。

パリコンサートドキュメンタリーサロンにて、1時間50分の作品を見ました。冒頭の場面は夢と希望の香りに満ちていました。オーシャンゼリゼ。。との歌声と共にパリの街を歩く場面。色々な人と写真を撮っている場面。スペインのデザイナーさんと一緒にいる場面は同胞との再会の場面とし映りました。喜び、感動しているとエリカちゃんと映る作品展の写真があらわれ、拍手喝采でした。11月1日のコンサート後に再び見させていただき、経験しましたパリでの先生のピアノコンサートは、当日とも前回の上映会ともまるで違う経験となりました。今日は、教会でのパイプオルガンの演奏も聴くことができましたので、更に新しい経験となりました。空間はより澄み渡り、何もかもが素通しに見えました。あるがままが見えると今まで良いと思ってきたことも間違いと気づいたり、本当のことがより深く分かっていけるのです。当日のご挨拶で、感性と知性が融合し、叡智が養われたとの表現をさせていただきましたが、私は見えてわかる感覚もあり体で感じる感覚もあります。そのことが同時にわかる経験となり、気づけば全ては丸見えだったのです。丸見えであることを疑うことは愚かといってもいけない程、あってはならないこととわかりました。人の生き様も丸見えでした。思わず、皆、人ごととし見ていると表現させていただいてしまいましたが、そう見えたのです。今は当事者となり、新しい世界を作る側でないと生き延びていけません。観覧席から平和を作る活動を見ているような光景が見えてしまい、完全に終わりゆくと見えました。今は新しい世界を作る人、物事やっていく人が生き延びる時代とは明らかに見えます。

パリでのコンサートも今後のビックコンサートに向けてのもので無料とさせていただきましたが、開催費用を支払ったのは私ですので、当然、目的も意義もあり、開催しました。新しい世界を作るとは、お金も自分で作り、やりたいことをやっていく時に先へと進めることを改めて考えました。展示会場も、ここと見えたので決めました。お金も計算し、費用も支払いましたので、やることより考えませんでした。周りの人は会場が汚いと文句を言っていましたが、自分で創る側は文句など言っている間はないのです。アントレプレナーであり高麗人とし生きていくことを考えると今まで当たり前にしてきたこのことも、新しい時代を創っていく生き方であったとわかり、感動します。「弱音は無縁」との先生のメッセージが痛快に心に響きます。今後は共に創る生き方でなければいるだけ邪魔なのだということも、よくわかりました。仕事をするとは先を創ることです。

私にとって高麗人で生きていいのならも、迷いも躊躇いもなく、無駄もなく、これからの時代を先を創り、生きていけます。魂の世界は進行していることを以前のコンサートにて教えていただきました。生きる日々で実感でき、この度の「高句麗の今」というコンサートメッセージを経験させていただきました。魂が強いとは魂が無いが如くに生きたら、体を壊してしまうことを兄の話よりわかることができました。魂を表し、生きていけば、どんどん強く美しく生きていけます。魂を表す最大の機会はコンサートをお伝えしていくことです。実践の機会がありますことは真にありがたいことです。ありがとうございます。

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