高麗の心
「高麗のお茶会」へお招きにあずかり ありがとうございます。高麗恵子さんがお花に会い、先生の創られた陶器にいれられていく時、ほぼどこにも鋏をいれずいけていかれます。在るべく場所へ置かれていくと、一輪の可憐なお花も枝ものの蕾も木も全て天に通じあるままの姿をあらわして居てくれて感動なのです。器に敷く金襴の合わせも配置もマーブリングの和紙に前日の夜中に書いてくださった詩を置いてくださった位置も、どこもかしこも全てがいのちに違和しない世界です。空間にはいると身体が、うれしくて うれしくてないています。二階にある四畳半のお茶室にはいらせていただくと、高麗恵子さんが全部でお迎えくださって四人の同志と高麗さんとお話ししながらお茶をいただきます。いつも こうやって人と語らえたら幸せです。慌てるものもなく、窮屈でなく、時間もなく…。一口お茶をふくむと、珈琲の味わいではなく まろやかで、包まれて、全身にひろがり身体の外側がないほどどこまでもどこまでも…です。
そして!高麗さんが一人ひとりから吹く風を、ぴったりのマーブリング和紙に詩であらわしてくださいます。
「幼き頃の夢 花 ひらく」
詩を受け取らせていただいた瞬間涙あふれ、ほんとうに 一面の花々が光りキラキラ光り風のように咲いていく光景に、身体はさらに一気に光満ちる世界にひろがっていきました。
一階にもどりビデオ講演会、即興詩をおききし、お食事をします。自分のしゃべっている言葉で進展のないつまんない感覚にすぐ落ちていました。先生 高麗さんにお話いただき、なにをしていても迷いの無い状態で生きる方向を得ました。
帰るとき、床の間の木蓮の蕾がはやくもほころびはじめ 柔らかな高麗紫のはなびらをのぞかせてくれていました。
かけがえのない 尊い全てに ありがとうございます。