高校生の時代認識
高校一年生に「今はどんな時代と思うか」という題で、短い作文を課した。気軽の楽しそうにしている16歳の社会認識・「声」を聞きたかった。すると、みんなまじめに書いてくれたし、内容も様々で、かれらもかれらなりに思い悩み、不安を抱えて生きていることがあらためて分かった。「経済の低迷、AIの台頭、巨大地震とその対策、年金問題、日本御の国防と周辺諸国との関係、自動車大国日本の車離れ、中国の巨大化、情報化社会の諸問題、グローバル化時代、地球温暖化の危機」と列挙しただけで、その先が書けなかった生徒もいるし、「良くなるのか悪くなるのかわからない中途半端な時代」「閉塞状態にある世の中」と答えた優等生もいる。また、「寿司屋に行ったら、ペッパー君が案内してくれたが、そういう時代なのだと改めて思った。」と、AIの進化に驚く女子もいた。さらには、「男性優先車両も設けるべき」と性のモラルの進捗を問題にする男子もいた。考えたくても考えようのわからない時代ということか。話題を振っておいて責任を感じてしまった。
わたしの16歳の頃とは大きく違う。戦後復興の絶頂期だったし、安保条約問題がようやく意識に登ってきたころで、今の子のように不安も混乱も感じていなかった。それから何十年、確かに時代状況は大きく変わったのに、わたしにはあまり身につまされてそれを実感できていなかった。「いだき」へ行って、「時代は変わった!」と何度言われても、「それがどうした?」くらいな認識しかできていなかった。確かに機器は革新され、物質文明は極限まで発達し、デジタル思考の嵐が吹き荒れているのは理解していても、「自分が変わらねば生きていけない世の中になった」までは、なかなか思えなかった。ここにきてようやく頭の枠組みの排除、内面の変革をまず優先して、「愛」を掲げ、「命」の輝きを目指し、日々更新していかねばならないと分かった。生徒たちのために頑張らねばと思った次第。