KEIKO KOMA Webサロン

高句麗伝説に向けて


先日は高知でのコンサートを誠にありがとうございました。

水のように動くとはどのようなことか、体感にてお教えいただいたと感じております。
力が入っていなくて、まるで抵抗がなく、そのままの瑞々しく清い水の流れでした。

完璧は壁をつくってしまうが
完全は全体一つとなりめぐる

その後、周りの大体の家が実家と比べると裕福であったことが思い出されました。周りが裕福というより、実家が貧しかったのです。私だけが周りの子と違い、機会や物を与えてもらえず、求めると嫌がられました。その悲しみや苦しみ、恥ずかしさ、惨めさがどんどん浮き彫りになりました。存在そのものは周りの皆と同じく肯定されていいはずなのに何故私だけが受け取ることができないのだろうと幼少期から学生時代に至るまでどんどん浮き上がりました。それに対し、やっと面と向かって「悲しかった、苦しかった」と素直に感じられています。

人間は人間として生きるため神性時代を迎え、一人ひとりが神様のはたらきを受ける仕事をすることで豊かになる。AIに奪われるのではなく共生できる。そこに人間とAIの違いがあり、そのためのアントレプレナーである。そのように少しずつつながって感じられるようになりました。

全く関係なかったのなら恥ずかしいのですが、昔奥底の方から「西にいけ」というのがでてきたこと、左腕の赤痣、多賀城、紫波(志波)、蝦夷、阿弖流為、出雲、などがつながっていたとしたらと勝手に予想してしまいます。

私は全くもって自分のことしか考えておりませんでした。本当に直すよりなく、治すよりありません。

先祖代々の代表として夫婦で、仲間と共にこの度の高句麗伝説に参加させていただけるはこびとなり、心より御礼申し上げます。何よりも優先し、無事に現地に到着できるよう氣をつけて参ります。どうぞよろしくお願い致します。

KEIKO KOMA Webサロン
仙台高麗屋にて
KEIKO KOMA Webサロン
高句麗 始まり第5弾
KEIKO KOMA Webサロン
新宿文化センターにて