高句麗 春の野山
京都コンサート、真にありがとうございます。アンコールの演奏をお聞きした瞬間 「春の野山」と言葉になりました。この世界で生きていく、高句麗の野山を駆けるのです。
12月からは、今までのようなアルバイトしながら保たせていく生き方では先はないことがはっきりわかり、5日のアントレプレヌールサロンに臨ませて戴きました。アントレの前に東京高麗屋さんで高麗さんが開催してくださいましたボランティアミーティング、ビデオ講演会に参加させて戴き、結果が出せない状態は数字、数を明確にし達成するように考えていないことが明らかになりました。しかも、大きな目標数字でなければ内側からの動きが生まれてこないこともわかりました。高麗恵子さんにお会いするということは、魂に触れ、内なる力が湧いてきます。頭が悪いと、そのエネルギーを仕事を達成するプロセスに置き換えることができません。何よりも、いだきしん先生のことをわかるには、先生のお言葉をそのまま聴ける自分であることが大事であることを高麗さんのお話から心しました。
アントレでは、資本主義体制の中で生きる賃金労働者の在り方は、いかに人間性を失わせ自分が何が好きで、やりたいことが何なのかという自分のことすら全くわからない使い捨ての労働マシーンになっていく仕組みであることがわかりました。このことは自らの経験からも痛くわかることです。既に12年前に国家公務員という国家に雇われ世間的には最も安定しているという仕事を辞め一見自由を手にしたようでありながら実はそれは一歩にすぎず、なかなか賃金労働者から抜け出せない状態を憂いながらも、ここまで生きてこれたのは、いだきしん先生にお会いすることを第一優先としてきたからと感じます。長年医療の世界に身をおきながら、真に人が助かる道はいだきしん先生に出会うこと以外に道はないとわかったからこそ職を辞したのです。詩人である高麗恵子さんには、いだき講座受講時にお会いしているのですが、真の出会いにより魂覚醒し、何としてもいっしょに生きていきたく、その気持ちを実現したく、そのことが大きな内面の動きを呼び起こし職を辞したのです。否が応でも、次の一歩を踏み出さなければ「明日はない」。アントレプレヌールサロンの続きのような、京都での「存在論」、応用コースでした。先生の伯母様の「行商」のお話、「婿取り」など決断と実行力に勇気と力を戴きました。いだきは最初から「男と女のある何か」をやってきたとのお話。12月1日渋谷コンサートの「アスクレピオスの杖」で表現してくださったことの深淵かつ壮大な人類の根底からの在り方を変える先生の表現であるピアノ演奏に畏れ多く、先生のお言葉がいのちちダイレクトに届き、真に生きていきたいのであれば生き抜く道は先生のコンサートに参加するよりないと確信し、すでに決めていた府中のコンサートだけでなく、要とおっしゃった「仙台コンサート」そしてクリスマスイブの「盛岡コンサート」すべてに参加することを決めました。生きる上で要を決め、それから実現するためにどうするを考えることは、アントレプレナーの基本であると実践させていただくチャンスであります。動員のはたらきかけも自らの内が光に満ち輝いてないとできません。自分が行きたい生命の要求であるコンサートをお金のために我慢したりしたらいっぺんに内面は曇ってしまいます。内面輝くコンサートは昨日の京都コンサートで経験させて戴きました。パイプオルガンとは思えないほどの音に、地球丸ごと変える巨大な装置の現れに圧倒され、体の中を螺旋状に吹く暴風に吹き飛ばされないように必死でした。杖にまとわりつく業なのか怨念なのか、剝ぎ取られていきました。思いもよらない経験です。そしてピアノ演奏で母方の祖母が突然出てきました。母が七歳の時に亡くなっているので、自分は会ったことはありません。祖母は明治時代から旅館を経営する家の三姉妹の長女に生まれ、曾祖父の決めた相手を婿に取りました。32歳で4人の幼い子供たちを残し亡くなった祖母の心中は無念であったと感じます。先生のピアノの音で瞬間、祖母には本当は好きな人がいたと直感しました。「家」に縛られ、「父親の権威」、世間体などいろいろなしがらみに生命取られたと感じます。直感した途端、涙がとめどなく流れ、先生に受け容れて戴き、先生に感謝しながら光に包まれ光になっていきました。自分の中にあった業のひとつでもあったと感じます。冒頭に書かせて戴きましたが、まさにアンコールでは、これから生きていく世界にいました。高句麗の春の野山を駆けるのです。高麗さんといっしょに!好きなことをすればいい、との先生のお言葉、行商で生きてきた伯母様はかっこいい。賃金労働者はカッコ悪いとわかると、やはりカッコよく生きたいです。そして行商では言葉が洗練されていることを心します。人と話さないと言葉は洗練されない。いろいろな人と会ってないと心が豊かになっていかないとのことも肝に銘じて仕事していきます。「本音で生きて下さい」をどこまで深く読み込んでいけるかも、いかに多くの人に会うかにかかっているとも感じます。深く読めれば、深く考える人にも会えるので楽しみに変えていけます。前職を辞めたとき、車でいろいろなところを回り、いだき講座、コンサート、「本音で生きて下さい」などの書籍、CD、サウンドシステム、さらにエチオピアでは薬として飲まれているコーヒー、先生の音を聞いて焙煎されているアンドロメダエチオピアなどkeiko koma selectionを売って、社会事業として仕事をしたいと感じた初心に戻り、「車とパソコンがあれば仕事はできる」との先生からのアドバイスを活かして、誰もが生きていける世界、高句麗の野山を駆けていきます。ありがとうございます。