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頭が働く


盛岡の存在論、応用コースに参加させていただきました。元気の素はなんだ?と、何度かお聞きになり、答えられません。本音を表現すれば、元気になると聞いていますが、残念ながら私がそのようにならないのは、本音をエネルギーにして我を強化していると東京の存在論でお聞きし、あまりに的を得た言葉で、笑ってしまいます。その通りです。だから、達成しても疲れたり疎外感を感じるのかと納得しました。では、元気の素はなんだろう?東北の男の人は彼女に生命をかけたと。想像できません。男と女が本当に仲がいいという状態を知りません。お父さんとお母さんが幸せに子供を育てている家庭を頭に浮かべます。男と女が仲良く生きられるなら、それは元気の素になることでしょう。頭と体を分けて、頭が全てを決める。観察して部分で問題を解決し、それが新たな問題を生む。二元論。我思う故に我あり。この言葉は、頭で考えているからこそ人間であるというように私は理解しています。頭が偉くて、体はそれに従っている付属品のように。体は機械のように部分で扱われて、壊れたら部品交換ができる。交換可能な物として扱われます。それに慣れきっています。一元論では、頭と体が一つで、全体。全て体、体が全て。頭も体の一部です。体から言葉が生まれるとお聞きして、やっぱりそういうことがあるのかと、喜びました。胸からポンと出るように言葉が生まれることがあるのは、体の言葉かと。それが生命の言葉なのでしょうか。

応用コースのピアノの音は、一音一音がまぁるく暖かく柔らかく優しい音の連続です。温もりに包まれて始まりました。0ゼロのお話しは、いだき講座で2日目に、例えば10個あったマイナス因子を一つ一つ高麗さんが言葉で表現して下さり、先生がピアノで解放して下さり無くなっていき、0になった状態が光。この、何もない0で、外に出れば周りの影響を受けること。0の状態で、頭が働けば何が起こっているかわかっていけること。掛け算、0を理解するあたりで学校でつまづいている事実。2×3=6は、2、2、2と2が3つあって足すと6になるように捉えていますが、1が大切。1匹のウサギ?の耳は2つ、三匹の???で耳は6つ。カエル?のおへそは無いから0、?が三匹でもおへそは0。掛け算の理解が足し算だったから、理解できてなかったことがわかりました。掛け算は、九九を覚えたことから始めた記憶があります。数学を始め受験勉強はかなりの反復練習をしましたので、記憶するまで問題集をやった覚えはあります。ここでも我を強化しました。中学の時、ハードな塾に行き人生で1番ハードな3年間でした。あの後の人生は、疲れ果てた感じです。2度とあれ以上頑張れないと感じます。成績が上がっていくのが面白く、母の期待に応えるのは喜びでした。今日、気がついたことがあります。私は小学生の頃から、やらなきゃいけないこと(特に勉強)に集中するのが嫌で、いつも他のことに心を半分取られたように生きてきたこと。それが、物心ついてから今も習慣であること。今まで悩んでいたことは、的外れな原因を追及していました。余裕が生まれると、すぐに心半分取られる習慣があります。何かに追い詰められている時は、目の前の不満でいっぱいですから、心半分取られることはありません。これは、大きな発見でした。頭が働いてきました。ありがとうございます。

 

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