震災30年目の朝
震災30年目の朝
夢で、新しい「国語サロン」の開催に向けて、大わらわになっている。
夢から覚めたのは、午前7時。30年前の震災のときの6時前に起きるつもりだったが……。そんなことより、思いがリフレーミングされたことがうれしかった。「だれかに頼ろう」「借金せねば」と思っていたことが、「行動に移ればいい」「協力者を見つければいい」に変わったからだ。やはり、「歩く」「書く」「寝る」は重要なアイテムだ。
30年前の朝、一瞬で廃墟になった街を当てもなく歩いていたときの気持ちに似ている感じがする。あのときは、もうまったく絶望の中、どうしていくか、生き続ける手段も方法もなく、「ああ終わってしまった!」と感じていた。しかし、不思議に気持ちは明るく、青空に通じるくらいに住んでいた。絶望も希望も越えて、虚無的な純真の中にいた。そして、不思議に生きながらえ、暮らしが続いた。「復興」は当然のことのように思え、むしろ「復活」の方が望まれた。しかし、街並みはきれいになったが、人の心は新しくならなかったようだ。だから、阪神地区の課題は山積されたまま。さらに「コロナ騒動」で、震災の朝に感じた「絶望と希望」の止揚感も色あせてしまった。もう一度、原点に戻って、行く先を見据え、やることを考え、取り組んでいかねばならない。
19日の「アントレプレヌールサロン」がオンデマンドで視聴できると知って、申し込んだ。「先生に会える!」――これまた言葉を越えた喜びである。