雲海はるか向こう!
昨日の太鼓の音、笛の音、詩の言葉で、もう体幹から振動が始まり、体の中に染み付いていた黒いものや汚いものがすっかり落ちてしまった。前から3列目の左にいたからだろうか、あんなに体に響いたのは初めての経験だった。何べんも座りなおさねばならなかった。そして、最高級の“救済”を受けた気分で、新しく生まれ変われたことを実感する。ここにいることの幸運をしみじみと味わう。夜行バスの中で、何を自分はいつも心配しているのか、不安を感じているのか、あほらしくも思いつつも、いやいや現実は、そんな甘いものやない、すっかり洗脳されてしまっただけやないか、と後ろ向きに引っ張るものもあったが、コンサートの優位は動かず、もう「大いなる存在」に抱かれている気分で寝てしまった。神戸に帰って、晴れた夏空の中に上機嫌の自分を確認した。
毎年、この時、上京するわたしを、歓待してくれる人がいる。自家用車で迎えに来てくれ、あちこちの美術館を案内してくれ、豪華な昼食までご馳走してくれるのだ。前の学校の古い卒業生なのだが、商社で勤めあげ、いまは松戸に居を構え、悠々自適な暮らしをしている人で、中々の知識人で、政府の無謀や官僚の身勝手を批判してやまない。今回は、佐倉の川村美術館まで連れて行ってもらい、道々、前川前文部次官の話に及び、報道の歪曲ぶりや、日本人の同調圧力の強さについて語り合った。「昔、会社に経営コンサルタントなる人物が講演したのですが、スプーンを曲げの実演をやってのけて、もう7割の人々を“信者”にしてしまいましたよ。」とかれが話すのを聞いていて、かれを「高句麗伝説」に連れてくる難しさを思ってしまった。「あなたも一度どうですか。」毎度話しているのだが、そのことはアンタッチャブルな話題になってしまっている。かれは、歴史や世界情勢に詳しいが、あくまで常識教養の中での物知りなのだ。映画『最前線』を勧めるが、『新聞記者』は見ていない。前川氏の報道以来読売新聞も嫌いになったそうだ。でも、「狛江」は「高麗の江」なのかもしれないというと、びっくりしていた。「高句麗」のことは知らないのだ。(偉そうなことを言えないが……。)この親切な知識人の存在が、雲のように周囲に立ち込めている。今回、雲海の向こうの光の存在にふれたわたしには、もどかしさがある。